友はどこに?


駐車場横、道路に面したブロック塀のふちで咲くムクゲ
レオがよくこのあたりで塀に寄りかかり、休んでいた



 早朝の長い散歩は先週半ばから休んでいる。どうにも疲れがたまって、しかも暑くなり、歩けなくなった。短めの散歩はしていて、お盆に入ってからは毎日お墓参りに行き、少し遠回りして帰ってくる。
 そんな短めの朝の散歩のコースの途中に友だちの家があり、6月末に家の前を通った時はいつもと同じだったのに、先週末家の前を歩いたら、家がとりこわされているのに驚いた。家はあとかたもなくこわされ、土台や温室、塀などが残っているだけで、重機がそのまま残されている。家を建て直すのか?それとも移転したのか?
 友だちとはお互いの家が近いのに、行き来はなく、年賀状の交換だけで十年近く過ぎていた。友だちも犬を飼っていて、数年前、車で住宅街を通った時、犬を散歩しているところを見かけたことがある。それ以来、姿を見ていない。
 20歳台から40歳代にかけては、ご自宅に遊びに行ったり、外で食事をしたり、友だちが主催するパーティなどにも出席していた。その友だちが家が近いゆえにいつでも会えると思ったわけではないが、会わないうちにどこかに行ってしまった。少なからずショックを受けた。
 隣家の方にお話を聞いたところ、ご両親と引っ越されたとかで、多分ご高齢の親御さんを連れての転居だからそんなに遠い所ではないだろうと思うが、先方から連絡がない限り、まったくわからない。
 もとの住所に書中見舞いはがきを出したが、移転手続きをしていれば相手方に届くだろう。ただ、返事が来なければかき消えたのと同じ状態で心細い限り。
 ただ、返事を出す出さないは友だちの気持ちなので、もし返事がなければあきらめるしかないだろう。そっとしておくしかないだろう。
 ばったり、どこかで会わないとも限らない。便りがくるかもしれない。どこかで元気で暮らしてくれればいい。そう思うようにしたい。ただ、お互い年なのであまり時間がないともいえる。


 今日のお昼ごろ、近所の商店街に行こうと外に出たら、商店街にお店を持つご主人が話しかけてきた。「犬は家で眠っているの?」わたしは立ち止まり、レオは一か月ほど前に死んだの、6月15日に、と答えた。そのご主人は心底驚いた顔をして、ことばを飲んだ。「本当によく面倒を見ていたよ」
 レオを抱いて家の前の道路に連れ出しトイレをさせたりする様子を少し離れたところから、よく見守ってくれていた。「よくやっているねえ」とよく声をかけられた。
 (姿を見かけないが)暑い日が続くから外に出ないで家にいるのかと思っていた、と。家で眠っているならどんなにいいか、と思い、涙が出そうになった。顔がゆがんでことばがうまく話せない。
 外にいる間は泣かなかったが家に帰り、また泣いた。レオ、レオと声に出して呼んだ。

 「老犬のいない廊下にカーテン引き西日さえぎるまるでいるように」
 「老犬とオハグロトンボ飛ぶ夏迎えられぬ寂しさかみしむ」
 「老犬の遺影飾りし盆棚に昨夏と違う悲しさ籠る」

6月末ころから裏庭にオハグロトンボの姿をよく見かけるようになった。昨年のこの時期、裏庭の木漏れ日の中でレオが昼寝をすることも多く、オハグロトンボを飛んでいるのをレオといっしょに裏庭にいるとき、よく眺めていた。レオがいない庭にオハグロトンボだけが飛ぶのを見ると、切ない気持がこみあげてくる。
 レオの名前を呼んで泣くことしかできない。不甲斐ないが、レオのことを忘れて楽になるより、思い出して泣く方がいい。レオのことをいつまでも忘れないのはわたしだけのような気もする。そう思うところがある。忘れたらかわいそうと。

 

2006年7月19日のレオ
フリスビーで遊んでいる


こちらも同じ日に撮った
夏はほとんど毎日、川の中に入り
水浴していた
もっと若い頃(1〜5歳)は泳いでいたが
この頃はほとんど泳がず、水の中に
立っているか、座っているか、軽く立ち泳ぎをする