雨の朝に想う

朝、地震があったので起きて玄関の戸をあけたら、激しい雨が降っていた。
寝床に戻り、母が他界した後の1〜2年、雨の日が辛くてたまらなかったことを思い出した。
息を引き取る40時間くらい前の夜中過ぎ、枕元に立ちあたたかいタオルで母の顔を拭いていたら、
突然起きて、「暗いけれど雨?雨?」と聞かれた。
わたしは「夜だから暗いのよ」と答えた。
「雨なら困るね。夜なのかそうか」と同じことばを何回も繰り返した。
最初、母に聞かれた時は、もしかしたら、容体がいいほうに向かって目を覚ましたのかもしれない。
一瞬、そう思った。だが繰り返すことばは、明らかに意識の異常から来ていて、苦しいほどの絶望を感じた。
その後、母とわたしは別れの言葉をかわした。
わたしは「大好きだからずっといっしょにいる」と言ったら、母は手を強く握り返してきて「本当に?大丈夫。大丈夫」と繰り返した。
そのとき、看護師さんが病室に入ってきて、「ここは病院ですよ」と言うと「わかる。び・よ・う・い・ん」とろれつのまわらないことばで返した。
その後、母は話しかける言葉に二度と答えることはなかった。

しばらくたってから、思い当ったことがある。
母の病室と、雨の日の自宅の寝室と、ちょうど同じくらいの照明だったのである。
雨の日の寝室は雨戸を閉めっぱなしで、隣の部屋の照明が照らすていどだが、病室も入り口の明りだけで、同じような暗さだった。
最後に目を覚ました母は、家のいつも寝ている部屋にいると思ったに違いない。
足が不自由だが雨の日以外は外へ散歩にでかけるのが楽しみだった母は、雨では外に行けないと思い、「困った」と繰り返したのかもしれない。
家にいると思えたのは母にとってどうだったのだろうか。
それから1〜2年、雨が降るたびにこのことを思い出し、「雨?雨なの?」という母の声がわたしの中でリフレインした。