今日はハロウィーン(らしい)

昨夜、住宅街がいつもの日曜より少しにぎわっていると思ったら、どうも、ハロウィーン前日のちょっとしたイベントをしていたらしい。こどもたちが同じ年ごろのこどもがいる家を訪ねてお菓子をもらうなど、していたのだろうか。日本人のこどもが仮装して歩いているのを見たことはないが、1〜2年前、やはりハロウィーンのとき、思い思いのお化け(?)の格好に仮装した外国人のこどもたちが親といっしょに住宅街を歩いていた。
わたしのこどものころはハロウィーンなどなく、せいぜいクリスマスどまりだった。ハロウィーンが巷に大手を振って歩き始めたのは、昭和の後半だろうか。昭和62年ころのちょうど今ころ、病院に入院していた母のために、わたしの友人がキャンディが詰めてあるハロウィーンのかぼちゃ人形を「お見舞いに持っていてあげて」と渡してくれたのを覚えている。彼女はかなりの年数、ニューヨークに在住していたので、ハロウィーンの本場を知っている。東京の街で見かけたハロウィーングッズを在住当時の思い出を振り返りながら買ったのかもしれない。この彼女とも年賀状のやりとりだけで、かなりの年月会っていない。すぐ近く(歩いて10分くらい)のところに住んでいるにもかかわらず。
彼女とは母が入院した時によく会っていた記憶があり、平成に入り6〜7年たってから、年の瀬になって入院したことがあり、ちょうど入院した当日くらいにクリスマスの催しを彼女が主催していた。前々から行く予定にしていたわたしは、パーティに参加する条件である持ち寄りのお料理を作り(多分、鳥のから揚げとポテトサラダ)、会場に足を運んだ。友人は「お母さんが入院しているのに来てくれたの・・・・・」というようなことを言って、紹介してくれた。パーティの後、わたしは夜の病院に行き、寝ている母の顔を見て、少しだけ安心して帰った。だがそれから、一時は敗血症の危険があるといわれ、毎日、病院に長い間いて(ときには泊って)見守った。幸い、このときは無事手術を終え、2ヶ月後くらいに退院できたのである。

日曜の朝日新聞に、向田邦子没後30周年の記事が掲載されていた。向田邦子の作品は昭和の香りに満ち満ちている。まだ存命中にもいろいろな作品を読んだが、ここ数年、そのとき読んだ作品を読み返したり、新たな作品を読んでいる。わたしにとって「昭和」という年代はなつかしく、宝物がいっぱい詰まった時代だったのである。

イングリッシュローズ ”シャルロット”植えて8年くらいになる。今年は元肥を施さなかったのでいまいち元気がない