シャボン玉飛んだ

近所のこどもが一人、季節外れのシャボン玉で遊んでいた。わたしもやってみたくなり、いい?と聞くと渡してくれたので軽く吹いたら小さなシャボン玉が風に乗って流れて行った。最近読んだ日野原重明さんの著書『いのちを育む』に、「シャボン玉の歌」のことが書かれていた。この歌の作詞者は野口雨情という詩人で、自分の娘が生まれてすぐ亡くなったのを悲しんで作った詩だそうだ。いのちを大切に育んでほしいという祈りを込めた歌であるとのことだ。
幼い子供に、はかなさを感じることがあり、シャボン玉が似合うなと思ったのだが、この歌が影響している面もあるようだ。
100歳の誕生日を迎えられた著者が書いた、この本を読んでみる気になったのは、92歳で他界した母が亡くなる1〜2年前くらいに、母の年齢を聞き、90歳代になったのを知り、軽い気持ちで「100歳まで生きたら?」というようなことを言った経緯があったからだ。その時、母はふいをつかれたように戸惑い、言葉が返ってこなかった。今思うとその少し前あたりから体調を崩して、本人ももうそろそろ(寿命)かなと思っていたのかもしれない。そんな時言ったわたしの言葉に母は傷ついたのではないか。健康でいられるなら、まだまだ生きたいだろうがいっぱいいっぱいで生活していたのかもしれないのだ。
こんなことがあったので、100歳という言葉に敏感に反応してしまい、この本を読んだ。人の命は死を迎えてもそれで終わりではないという言葉が印象に残った。遺伝子レベルでもそうだが、生前行ったこと、やってくれたこと、ともに生活したことなどの記憶はいつまでも残った人たちを育む糧になり、命はつながれていく。
健康寿命という考え方も教わった。健康寿命は介護を必要とせずに自立して過ごせる健康な期間をカウントする。心身ともに健康に、生きがいを感じて生きていくためにどうせればいいかという、人生の大々先輩の方からのサジェスチョンも参考になる。
なによりも共感したのは、医療従事者、特に医師に求める高い理想だろう。父母、中でも父が衰えていく過程でさまざまな病気になり、たくさんの医師との出会いがあったが、強い不信感を抱かせる医師が一部にせよいたことが少なからずトラウマとして残り、医療不信が消えない。ただ、頭が下がるようなすばらしい医師もいた。

母が100歳になったら、(そのときわたしがいたら)「100歳になったね」とお墓に花束を持っていきたい。遠い道のりだったね、と。