堀辰雄の『大和路 信濃路』を読む

 今日は雨が降ったり止んだりの一日。昨日のあたたかさはすっかり消えた。

 昨日の新宿での短歌教室で知り合った方に教えてもらった堀辰雄の『大和路 信濃路』。アマゾンで手に入れようかとネットを開いたら、青空文庫がいちばん上に出て来たので、いっそのこと、これで読もうと読み始めた。

 まだぜんぶは読んでいないが、堀辰雄が奈良を訪れた下りはほとんど読んだ。エッセイではなく、不思議な味わいのある私小説である。

 いくつかの章に分けられ、「樹下」という章からはじまる。信濃のお寺の近くで出会った素朴な石の仏像が描かれている。

 次は大和路へと舞台が移り、小説の構想を練り、作品を一つ書き上げようと奈良の定宿のホテルを訪れ、連泊する。昼間は大和路のあちこちを散策しつつ、書きたい小説のイメージをふくらますという内容だ。

 作者はさまざまな寺院、仏像、奈良に暮らす人々に出合うのだがそのひとつに興福寺の阿修羅像があり、この若い仏像に引き留められるようにその前で長い時を過ごしたと書かれている。阿修羅のまなざしについての描写というか作者の思いが素晴らしく印象的だ。

 教室で知り合った方は小説の最後のほうの「浄瑠璃寺の春」という章がいちばん好きと言った。作者が奥さんと春(多分、早春)の浄瑠璃寺を訪れた下りが描かれている。奈良に暮らす人たちの息づかいが伝わる。奈良の春と、そこで暮らす人たちの息吹のなかで作者はどこか不思議な位置に立っている。それは作家としての位置かもしれない。

 まだ拾い読みではあるが、いい作品だと思った。奈良の旅行にもきっといいものを与えてくれるだろう。