今日は南天を剪定、昨日は仁和寺の仏像を拝顔した

 今朝は気温が下がったが時間が進むにつれて気温が上がり、3月ころの陽気となった。
 お昼前に庭に出て、桜の木の周りに植えてある南天を剪定した。毎年、この時期に切っている。南天は常緑樹でこの時期には節々に新芽を用意している。その新芽の上で切ることが多いが長く伸びすぎた木は芽を確認できないところで切ることがある。ただ、切り方によって樹勢が落ちるような気がする。昨年より葉の茂り方が弱くなった木はあまり深く切らないようにした。
 何十本とかなりの本数を切ったが剪定そのものはそんなに大変ではない。低い木で木質もやわらかいからだ、ただ、本数が多いのでそれなりに疲れた。
 剪定を途中で終え、近所に買い物に行き、帰ってきて昼食を食べた。食後少し休んでまた庭に出て剪定の続きをした。裏庭の境界部分に植えた南天をすべて切り終え、今度は切った枝葉を短く切り揃えて紐で括った。この作業がいちばん大変。腰をかがめる作業が多い。腰をかがめて起こしまたかがめ・・・・・・・・。2束束ねただけで疲労を感じ切り上げた。まだ2束ほど残っているがもう続けられない。家に入りお茶を入れひと息ついた。今日はこれですべての労働を終えることにした。あとは夕ご飯くらいは作るけれど。

 昨日は今日より気温が上がらず寒かった。昼過ぎまで曇りの天気で風が冷たかった。昼前に家を出て上野の東京国立博物館に着いたのが12時少し過ぎ。特別展「仁和寺と御室派のみほとけ展」を開催中だが混雑による入場制限はしていなかった。だが館内に入ると人が多かった。ぜんぶを並んで見ていたら時間がかかり過ぎるのでところどころで割愛させていただいた。ほんとうはじっくり見たいのだが。
 鎌倉時代天皇の直筆の御手紙が展示されていた。お名前を存じ上げている天皇といえば後醍醐天皇後嵯峨天皇後宇多天皇くらい。手紙は「消息」というようだ。隠岐の島に流された天皇は何と言ったっけ。目の前に肉筆の手紙を見ると書物で知った人たちがにわかに近くなるような感じがした。
 仁和寺や全国にある御室派の寺院から東京にはるばるとお出ましになったみほとけたち。展示会場を入ってすぐ仁和寺から来られた小さな小さな薬師如来像が展示されている。25センチあるだろうか。白檀の木で精緻に彫られ、平安時代に彫られたというのに顔は歳月の流れを感じさせない。台座などの細かい細工も時の流れが止まったように当時そのままにここにあるように見える。
 第五章、最後の展示会場に展示された千手観音菩薩像は奈良時代に作られ大阪の葛井寺に安置されている。こちらは文字通りの千本の手を背負って居るように見える仏様で、異形といえばそうだがお顔はおだやかで悟りの境地にたどりつかれた安堵さえも漂うようだ。千年以上の歳月を経てまだらになったお顔に疲れの表情もある。これから何百年、何千年も千本の手を背負われるのだろうか。
 千手観音菩薩は後ろからも鑑賞できるようになっている。後ろに回ると千本の手は菩薩像から少し離れて組合されているのがわかる。菩薩は千本の手を背負っているわけではなく、変な話だが少しほっとした。
 展示会場には仏像の種類を解説した展示もあり大日如来像が真言密教の中心となる仏像だと知った。菩薩は悟りを開くべく修行中の身で如来の手助けをして衆生を救う。悟りをひらくと如来になるそうだ。


 桜もちの幟を出す手のぞきたり人影のなき商店街

 人住まぬ声ひびかざる家に春の陽が包むごとく照る

 柴犬の在りし日に植ゑたる桜つぼみふふみて見上げる丈に

 今年初のみずみずしき苺をともに食まむと父母に話しかく



これから咲く梅の木
実のなる梅、梅干しを作るとすごくおいしい


沈丁花はひとつふたつ咲き始めたけどまだ香りは感じられない

白梅は花の盛りを過ぎたがまだきれい