今日は洗車と掃除で疲れる日

 空気が冷たく、空は晴れ渡っている。風はそれほどないので助かっている。

 16年ほど育てている紅梅の盆栽が一輪だけ咲いた。近所の花屋さんで買ったときは、たくさんの短く細かい枝が出て花がいっぱい咲いたのにいつのまにか枝数も花数も少なくなった。それでも枯れないで咲き続けているのはうれしいことだ。

 母が亡くなった後の父を慰めるためでもないが、花屋のオーナーさんに買ってあげたら、とすすめられ買ったのである。父は一言「盆栽はむづかしい」と言っただけだが、その盆栽をここまで、細々とだが育てられてほんとうにうれしい。

 

 

 午前中はネットで「日々のクオリア」というサイトを見て、刺激的な時間を過ごした。さまざまな現代歌人の方が自分がいいと思った短歌をピックアックして紹介していて、今日は平岡直子さんの「日々のクオリア」短歌を読ませていただいた。13ページに渡っていて。わたしの大好きな歌人、永井陽子さんの短歌でしめくくられているのでなおさら気持ちが上がった。次の短歌である。

雨戸のむかうは海であつたといふやうな朝は一度もなくて古き家

                    永井陽子『てまり唄』

 お昼前に部屋に掃除機をかけた。四分の三をかけ終えたところで疲れて中断し,昼ご飯にした。昼食後は洗車をした。師走か新年になってからかは忘れたが、新しい年を迎える(た?)のに、車が汚れているなあと思ったことがあって、そうだ、今日しかないと洗車したのである。細かいところは古いバブラシできれいにした。きれいになると気持ちがいいがそのぶん、からだは疲れた。

 部屋の掃除の残り四分の一は明日か明後日に先延ばししよう。ほかに湯舟と浴室の掃除があり、こちらのほうが今夜のためには必要だから。掃除を残した部屋はもとはわたしの寝室だったが、いまは別の部屋に寝ているので、一日中使うことがない。衣服などが置いてあるので取りに来るか、たまにストーブをつけてこの部屋でパソコンをいじることがあるていどだ。

 今日やろうと思っていたことが一つある。武蔵小杉の歌会のために詠草をプリントして発送することだが、まだ手を付けていない。さて、どうしようか。

 

紅梅の盆栽の隣には、ヒヤシンスとチューリップの球根を植えた鉢が置いてあり、芽が出て来た。