雲のきれいな青空のひろがる日が続く。
昨日は夕方から半蔵門線・永田町駅を降りたところにある国会図書館に行った。
調べたいことがふたつあって、ひとつは歌人の永田陽子さんが18歳で入会した短歌人という結社が発行する「短歌人」のバックナンバーを調べること。1969年の夏に入会したので、その年から丹念に誌上で発表された若き永井陽子さんの短歌を追っている。昨日は1970年の作品を追った。6月号と10月号に作品が見当たらず、また再調査をするつもりだ。
もうひとつは「短歌研究」2021年8月号を閲覧して、2人の女性歌人による巻頭に掲載の100首歌のコピーをとること。そのほか,中城ふみ子賞にをとった方の50首詠のコピーもとった。ほんとうは雑誌を購入するのがいいのだが、家に本が増えることが好きでないので、これだけはというものしか買わないことにしている。
今日は家にこもって、昨日コピーをとってきた短歌をじっくりと読んでいる。
永井陽子さんは1969年7月の「短歌人」にはじめて発表したときは短歌が2首だけだったがだんだん数が増えて、一年もたたないうちに(正確には1970年4月号)9首の短歌を発表するようになった。1970年7月号には12首を発表。作品が掲載される場所も若手の作品のなかで最初のほうに格上げしている。
からだを動かすことと言えば、近所の肉屋と八百屋に買い物に行き、3つある部屋に掃除機をかけたくらいか。
午前中10時から1時間、友だちに教えてもらったフランスのテレビドラマを見た。「バルタザール」というタイトルで、BS11で放映している。法医学者が主人公なので、血なまぐさい事件がその都度起こるのだが、いちばんあやしくなさそうな人が真犯人になるという筋運びが定番だ。
国会図書館でコピーをとった「短歌研究」に掲載の女性歌人による巻頭の100首の作品群と、中城ふみ子賞をとった50首の作品を読み比べると、まったく違う短歌世界がくりひろげられていてぼうぜんとする。どちらがいいと思うかは、どちらが好きかの問題なのだろうか。
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