昨日は久しぶりの国会図書館へ

昨日は三ヶ月半ぶりくらいに国会図書館に行った。最後に行ったのが7月半ばである。あれからいろいろあって、行けなかった。同時に国会図書館に通うのがややマンネリ化したのも事実だ。

 なんのために図書館に行っているのかがはっきりしなくなった。三か月半を経て、また行きたくなり、何のために行くのか自分のなかではっきりと目的意識を持つことができた。

 昨日の11時頃、国会図書館に着いた。ひさしぶりなので4時までいて、早めに帰るようにしようと決めていた。だがそうはいかなかった。

 「短歌研究」「歌壇」「短歌」の三大(?)短歌誌のバックナンバーをまず閲覧した。「短歌研究」」の8月号・9月号・10月号にはわたしが8月から通い始めた、朝日カルチャーの小池光氏の特集記事が組まれていた。読み切れないので、読みたいところはコピーを申し込みとってもらった。このコピーの申し込み方は慣れないと煩雑なのだが、すっかり慣れて来て、とてもスムーズにできる。

 さらに読みたい歌集として3冊、エッセイ本1冊の閲覧を申し込んだ。そのなかに小島ゆかりさんの歌集『さくら』があって、読みはじめると止まらくなり、結局、図書館で一冊読み切った。

 昼食は国会図書館の新館にある食堂でランチを食べ、小一時間を使った。

 そんなこんなで4時まで、では収まらず、5時近くまで図書館にいた。

 帰りは行きと同じく半蔵門線田園都市線(直通である)で二子玉川に行った。駅前のよく行くカフェに入り、カモミールラテを注文。ひと息ついた後、簡単な夕食を地下の食品売り場で買って家路についた。

 

 今日は昨日の疲れはそれほど残っていないが外には出かけず、家にいた。昨日取ってきたコピーを読み返し、さらにネットで調べたりした。

 昨日の図書館行きが刺激となった。季刊の短歌誌「しらぬ火」に送る短歌10首を見直してみると、これではだめだというのが何首かあった。

 2首差し替えて、他の短歌もかなり手直しした。ほとんど直さなかった短歌は3首だけ。 

 昨日、少し迷ったのだが国会図書館に行ってよかった。新しい世界にふれると、それが刺激となって、自分に足りないもの、自分がいかにゆるい短歌を作っているのかがわかる。姿勢を正して向き合いたい。

 種を蒔いて育てている矢車草がそろそろ定植できそうだ。うまく根付いてくれるといいが。