朝は冷え込んだ

 早朝、この秋一番の冷え込みだった。これからこんな日が多くなって、冬に入るのだろう。今朝だって秋と言うより初冬の冷え込みに近かった。急に寒くなったのでそう感じたのだろう。

 起きてしばらく時間がたつと半袖でもいいくらいの気温になった。わたしは半袖に長袖を重ねて一日過ごした。

 午前中早い時間に友だちに電話をするが出なかった。すぐラインで、折り返し電話すると伝えてきた。30分ほどで電話があった。月曜にわたしが送ったラインに返事しなかったことをあやまってくれた。身内に不幸があったとのこと。農業を営んでいた祖父母夫婦のおばあさまが亡くなられ、葬儀にふるさとにもどって昨日帰ってきたそうだ。ふるさとは大阪府である。

 今月時間があれば行きたいとわたしが誘った美術展は仕事の都合で行けないとていねいにことわられた。また別の展示会を誘ってくださいと言うので、もうひとつこちらもいいと思っていた美術展はどうかと話した。上野の森美術館で開催される予定の「モネ展」である。金曜・土日は夜19時まで開館なので、仕事帰りに立ち寄りやすいことを伝えた。10月20日から来年の1月28日と会期に余裕がある。タイミングが合えばそちらに行きましょうということになった。

 そんな長い電話ではないが、ひさしぶりに電話で話したという気になった。この友だちとは月に数回は電話で話しているが、用件のみだったり、こちらが一方的に話したりなど、話して楽しい電話が最近なかった。今日は久しぶりに楽しい電話だった。

 考えてみると、どの人とも電話で話すのは用件がある時が多く、次に相手の悩みごとを聞くことが多いような気がする。最近、電話で話して楽しいということがなかった。悩みを聞くのは大切なことだが、楽しさという点ではものたりない。

 楽しむことはいけないことだろうか。

 NHKBSで上映したオードリー・ヘップバーン主演の「尼僧物語」を見たが、尼僧にとっては楽しみを求めることは戒律に反する罪といえるだろう。それは欲望と関係するからだろうか。ヘップバーンが演じるルーク・シスターは映画の最後に尼僧をやめ世俗にもどるのだが、もちろん、人生を楽しみたいからではない。第二次世界大戦が没発し、彼女の母国ベルギーがドイツに占領され、抵抗運動が行われる。優秀な看護師としてその運動を支えたいという気持ちからである。その前に、優秀な外科医である父が患者の措置中にドイツ軍の機銃攻撃で殺されてしまう。これがきっかけとなった。

 豊かな人間性と看護師として優れた能力に恵まれたシスター・ルークはコンゴの病院に看護師として派遣される。手術を担当する外科医に信頼され、患者や原住民の人たちに人気があった。だが看護師としての仕事とカトリックの戒律に矛盾が生じ、葛藤の日々でもあったのである。ピーター・フィンチが演じる外科医はシスター・ルークに、あなたは修道院ではなく世俗に向いている人だと指摘されるがこの言葉はのちの彼女の行動に強い影響を与える。

 映画の最後で尼僧がまとう衣装からふつうの世俗の人の衣服に着替え、ドアを開けて修道院の一室を出て街を歩いて去る場面はとても印象的だ。第二次世界大戦のさなかのベルギーでそんなに生易しい人生が待っているとは思われないが、彼女ならきっと最善を尽くすことができるだろうと確信できた。

 自分のこころと向き合って、自分のこころに嘘をつかない。かんたんなようだが、時に難しい。自分の本心がわからなくなることもある。だが葛藤の日々を乗り越えて、みずからのこころに従ったヒロインにエールを送りたい。