東京は昨日が盆の入り

 昨日、13日からお盆が始まった。昨年までは仏間に盆棚をつくり、花や果物、父母が生前好物だった食べ物をお供えした。13日は迎え火をたいて、父母の精霊を家に迎えた。

 だが今年は盆棚も迎え火もなし。仏壇の花を変えて、大きな桃をひとつ、カステラを供えただけだ。甘いものが好きだった母だが、カステラと羊羮はあまり好きでなかった。

 お線香だけは朝晩燻らして、手を合わせた。

 迎え火は柴犬レオや老犬ももこがいた頃の思い出がある。2010年は父がお盆中に退院し、2日しか家にいることができず、さらに悪くなって再入院した。あのときはお盆などしなければよかったと思った。死んだ人より生きている人のほうが大事だ。父が入院中だった時期のお盆などスルーすればよかった。

 とはいってもなにも緊急事態のないときはお盆を迎えることを楽しんだ時もあった。父母のの精霊が一年に一度、家に帰ってくるという。このことに心引かれた。本当に帰ってきて家にいるような気持ちになれたからだ。

 今年は迎え火がなく、精霊はいないかもしれないがもういいことにしよう。

 思い出のなかの父母に会うことにしよう。死んだ犬たちは一年中、この家にいるでお盆は関係ない。

 午前中は部屋の掃除をし、きれいになった居間でパソコンを開き、今日詠んだ短歌を入力した。日々新しい短歌が生まれるが、これだ!という歌はなかなかできない。それでも明日を信じたい。