2つの短歌大会に短歌を送った

 午前中は薄く日差しが差すときもあったが、午後からは小雨が降る天気となった。

 ぼぼ1日、短歌にかかりっきりだった。といっても午後3時すぎには2つの短歌大会に短歌を同封した封書を投函したので夕方にには解放されていた。

 あまり考えすぎると迷路に入り込みそうで、今現在のわたしはここまで、と区切りをつけた。決めてしまうとわたしから短歌が離れて行くのがわかる。もう過去のごとになったような気分だ。迷っている間は現在で、これと決めれば決めたものは過去になると言うおもしろさ。決めたものの前に未来をつくるわけである。

 午後はテレビをつけていた。NHKBS3で放映した『シェルブールの雨傘』を見ていた。ずっと見ているわけではない。だがほぼ見ていた。

 どの短歌を送るかほぼ決まっていたので、テレビを見る余裕があったのかもしれない。ただ、1首はあまりよくないように思い、差し換えた。これは映画を見ながら考えたことだ。

 『シェルブールの雨傘』は若いときにももちろん見たし、それから何度も見ている。若い頃は劇場で一度、あとはテレビかビデオテープで見た。歳をかねてから見ると、若いときにはそれほど強く感じ取れなかった側面を強く感じとることができた。

  ふたりの恋をはばんだものは、男が兵役にとられたことが大きいが、それだけてはなく、カトリーヌ・ドヌーブ演じるヒロインの母親の存在も大きい。娘の幸せを願うことがかえって幸せを遠ざけるような、そんなことを感じた。

 世間的な幸せな結婚を押しつけるくらいの圧力を母親から感じたのた。まだ10代の終わりから20代はじめのヒロイン、ジュヌエビーヌにとって母親がもし、相手を信じなさいと言って支えてくれたなら恋をつらぬくことができたのではないか。

 映画のラストは今まで見たどの時よりも痛切に響いた。