庭に植木屋さんが入って、柿の実を収穫

 

  朝8時半ごろ、わが家の駐車場に植木屋さんが来たようだ。

  来たようだ、というのはわたしは植木屋さんのトラックがとまる場所を作るため、自分の車を停める他の駐車場を探すのに大変で家にいなかった、から。

 この界隈は月決めの駐車場は比較的あるが、時間で貸すのはわりあいと少なく、朝早くからいろいろな業者の車が停まっている。あそこなら、というところを車で何か所かめぐり、心当たりの場所ではなかったが広くてがらんと空いている駐車場を見つけた。

 地獄で巡り合った天使みたいな、大げさだがそんな感じ。

 車を停めたのはいいが、あちこち探しまわっている間にスマートフォンを落としてしまい、拾った人が届けてくれた。わたしの顔を知っていて、たまたまスマートフォンの待ち受け画面にわたしが朝撮った自撮の写真が出て来て、それを見てわたしと知ったようだ。実はその方のことをわたしはあまり知らないのだが、先方はわたしの顔と家を知っていて届けてくれたのである。すごくラッキーだ。

 庭に入った植木屋さんはまず柿の木の剪定から始めた。今年は豊作で、柿の実が多くてそれを収穫しなければならず枝の剪定が大変と、植木屋は愚痴った。

 わたしは樹の高くなっている大粒の赤い柿がたくさんとれてうれしかった。

 鳥たちががっかりするのは気の毒だ。毎日、庭から聞こえてくる鳥の声にとてもこころをなごませもらっているから。

 午前中、上のような柿の実の写真を友だちにラインで送り、しばらくやり取り。友だちは自分の子どもが高熱を出して、病院に付き添い点滴を受けているときだった。やり取りしながら、やっと家に帰ったとラインが来た。家のすぐ近くの診療所とのこと。

 ラインでなくて、電話で話したいというのでこちらから電話してしばらく話した。収穫した柿を友だちに持って行きたいが、わたしの体調しだいみたいな話もした。

 実は武蔵小杉の歌会の翌日は顔や手や首に赤い湿疹が多く出てかゆくてたまらなくなった。どうも疲れが皮膚の病気を悪くする原因のひとつのようだ。歌会のあと、わ太氏はそんなに疲れたという意識を持たなかったが、それは司会を務めるなどで気が張っていたのかもしれない。気の張りによる疲れを感じないが実際はかなりのストレスを受けていたのかもしれない。

 今日も早めにリラックスする時間を持って、明日に供えたい。

 昨夜見たのは母と台所で何かを捌いている夢だった。意識としてわたしは鰹のたたきだと思っていたがどうも違うところもあって、、、、、。途中で目が覚めた。

 夢占いによると亡くなった母親と料理をしている夢は何かが変わることを示唆しているとか。