梅干しを干し始める

 朝方が雲が多めだったがだんだん雲が少なくなり、真夏の太陽が照りつける。

 9時半ごろはまだ雲が多めだったが、土日月の三日間の天気予報を見て、塩漬けの梅を干すことに決めた。

 昨年と違って。わが家の駐車場は車が三台に入っていて、自由に使えなくなった。ただ。弟が朝早くから車で外出したので、空いているところに脚立を横に伸ばし、その上に梅を干す大きな笊を置くことにした。

 干し始めたのは10時近く。干し始めてから雲がなくなり陽ざしが強くなり、絶好のタイミングだった。

 

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今年は3キログラムの梅を塩漬けにした、昨年は5キログラムだったので少ないほう

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梅を塩漬けした梅酢も日にあてて殺菌する

 

 梅干しを干すと、初めて梅干を作った夏のことが思い出される。2012年の夏だった。柴犬レオと最後に過ごした夏だ。翌年はレオは6月15日に死んだので梅を干すときはいなかった。2012年がすごくなつかしい。レオは衰えてはいたがまだまだ大丈夫と思えるような状態で、わたしはレオとの生活を楽しんでもいた。あの年は盛夏の頃、レオに蚤がついて大繁殖してしまい、そのことがレオの体力を奪ってしまった。もっと気をつけていれば、と悔いが残る。

 老犬ももこがいた夏も梅干しは同じように干した。ももこはこの家に1年五か月余りしかいなかったが、夏は2回わたしと過ごした。梅干しを干すときももこがいた夏がなつかしい。

 もう梅雨はあけて、もう盛夏である。だが8月の初めに立秋があり、盛夏であると同時に秋がはじまっている。ももこがいた2016年の8月は本当に苦しくて寂しいひと月だった。余命いくばくもないことがわかっているももこと過ごした8月。あのような8月は二度と訪れてほしくないと思いつつ、ももこががんばって生きようとした8月であることを思うと、大切な思い出としたい気持ちがある。一生に一度だけの大切な思い出。二度と同じ時間は戻らないから、あの八月の一日一日を大切にしたい。2016年の夏は苦しい思い出がいっぱいだがあの夏はももこがいた最後の夏だから忘れたくない!忘れられない。

 それは現在の一日一日を大切にすることにつながるだろう。現在のわたしにはあのときももこが少しでも長く生きてほしい、けいれんを起こすなどの辛い状態にはさせたくないと願ったような強い願いはない。 

 ある意味ふわふわと頼りない生活のように思える。何かを強く望むとき人は強くなれそうな気がする。半面、強く望むほど望みがかなわなかったときの失意が強く、生きているのも苦しいくらいになる。何かを強く望むことに憶病になっているのだろうか。

 誰かや別の生きものに期待する望みではなく、自分自身に期待する望みならどうだろうか。自分と対話しながら、自分の力を試しながら、自分自身への期待、希望を育み実現していくのはいいのではないか。