スモモをもいで友だちにあげる

 午前中は雲が多かったがいつからか晴れ間が広がり、白い雲が浮かぶ。風がほどよく吹いて、窓を開けると気持ちがいい。

 昨日の日曜日はほぼ一日中、寝たり起きたりして過ごした。横になるだけでなく、ときどきちゃんと眠っていたが、それにもかかわらず、夜はぐっすりと眠ることができた。疲れがたまっていたのだろう。先週は家でおとなしくしている時間が長かったがそれでも日曜日まで疲れが抜けなかったようだ。

 今日はまあまあからだが軽くなり、昼食後に横になりたくなることもなかった。

 脚立を運んできて、熟れ始めたスモモを自分のためでなくもいだ。いままでは自分の朝食用だったが、今度は人にあげるためだ。

 近所の友だち2人に電話して、家まで持っていくことにした。青梅も友だちに家に持っていくことが多かったが、これも疲労の一因かもしれないと思うと、すももはあまり労力を使いたくない。

 三軒両隣は別としてなるべく家に取りに来てもらうようにしたい。もしくは家の前に収穫したスモモを入れた大きなたらいを出して、自由に持って行ってもらうようにしたい。

 今年のスモモはたくさん実がなっているためか、それとも熟すときに曇りや雨の天気になったためか、糖度が足りないように思う。昨年も一昨年も、水分は多いけれどもっと甘かったようにおぼえている。

 老犬ももこがこの家にいた2015年の今頃は同じようにスモモの実をもいで、ももこと競うように食べた。あの時は甘くておいしかった。ももこがいたからスモモのおいしさが何倍にも感じられるのだろうか。いや、それだけでなく、あの年はおいしかった。

 

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友だちのために二袋分を収穫

 午前中は,白洲正子の『私の百人一首』を拾い読みした。西行法師と式子内親王のところだけを読んだ。白洲正子がこの二人の歌人について語る、その語り方が好きだ。

 式子内親王の和歌について、後鳥羽院が「齋院はことにもみもみとあるやうによまれき」といわれている。「もみもみと」言葉を絞り出すように初句から下句まで緊張感をもって詠うのだろうか。

 

玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることもよはりもぞする  式子内親王

 

 まったく違うように思えるが、永井陽子さんの同人誌「詩線」を調べて、このことを文章にするとき、さまざまな歌人のことがかえって思われる。永井陽子さんが万葉の時代に端緒を持つ短歌の歴史の中にひとりの歌人として足跡を残したい、その歴史に連なりたいという願望を持ち、そのことを実現したからかもしれない。

 

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昨年から植えっぱなしの球根から紫色のグラジオラスが1本だけ咲いた

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グラジオラスの葉っぱがたくさん伸びていて、夏の庭に変わりつつある

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気の早いキバナコスモスがひとつ咲いている

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つる性の夏に咲く花だが名前は知らない