赤い実のなる千両を友だちにあげた

 ここ数年、この時期になると庭の千両をお正月用に早めに切っておく。昨年は11月末ごろに切ったが今年は少し遅れて昨日切った。もうすでに鳥たちが千両の赤い実や黄色の実を食べ始めていて、実のない枝が目立った。鳥たちの食べ物がすでに少なくなっているのだろうか。住宅街には柿の実りがまだあるのだが。
 朝9時頃、友だちが千両の枝を受け取りに家に来てくれ、家に上がって老犬ももこのためにお線香をあげてくれた。炬燵のある居間に案内して、煎茶とお菓子でくつろいでもらった。最近、続けて友だちの家に詐欺目的の電話がかかり、その話をした。ある銀行の対応が悪いので、全部の預金を引き出そうとしたら(詐欺の被害者ではないかと)疑われ、銀行側が警察を呼んだそうだ。友だちは対応が悪いので、とは言えず、大事になり大変だったと話した。警察は銀行と協力して詐欺撲滅に懸命なのはわかるが、現金を引き出すのは詐欺の被害だけではないので対応が難しい。
 友だちには赤い実と黄色の実のなる千両を5〜6本あげた。
 他にもう一人の友だちには明日こちらから持って行くことにした。もうひとりは午後、近くの商店で見かけたので家まで取りに来てもらった。ついで種を蒔いて育てたに矢車草の小さな苗をあげた。
 夕方近く、菩提寺にお墓参りに行った。花立の水を替えることが目的だ。川沿いを歩いてゆくがしばらく見かけなかった鷺が一羽、前足を川底の土のなかで動かしてえさを探していた。前足をすり足のように動かし、驚いて土から出てくる虫や魚を器用に嘴でとらえる。鷺を見かける時はいつもえさを探している。生きるのは大変なことだとつくづく思う。
 朝日新聞の刊の一面に人間とAIの俳句の対決が掲載されていた。AIが作った俳句のひとつに衝撃を受けた。昨日、公園の池で見かけた光景をそのまま俳句にしたように思えたからだ。人間には「かなしみの片手」と発想できないかもしれない。詩情豊かで鳥肌が立った。

 AI氏作 「かなしみの片手ひらいて渡り鳥」

 公園の池の小さな島で、マガモが片足で立っている光景を思い出した。手の指がしっかりとひらいていた。あの時、マガモの群れになんとなく悲哀のようなものが漂っていた。この鳥たちはどこから来たのだろう。日本の都市の片隅の小さな公園に降りたったマガモたち。今日か昨日かここに辿りついたような、疲労感も感じられた(想像力が羽ばたき過ぎるだろうか)。生れ故郷を遠く離れた鳥たちに感情移入が強くなるのはしかたないにしても。

 AI氏の俳句に刺激を受けて

 片足をひらいて立てる渡り鳥 顔をうずめてふるさと思ふや

 街なかの池の真中の小さき島マガモの群れがおのおの憩ふ