風に背を押され、種蒔き

 先週はまだ早いような気がした。
 今日の風はすっかり秋の気配で来春の花のために種蒔きをしなければという気持ちになった。
 午前中は安永蕗子の歌集を読んだり、自分の歌を作ったりした。安永蕗子の歌は影響を受けるには完璧すぎる。ここを目指すのは無理と思うようになった。なぜこの歌人の歌に魅かれたか。人事ではなく自然を徹底して詠んでいるところに魅かれたのである。ただ、自然の読み方はこの歌人の独特の世界で誰にもまねできない境地に至っている。参考にすることはできるし、刺激を受けることはできる。ヒントを得ることもできる。発見することもできる。出来ないのはこのような歌の読み方をすること。
 こう思ったら安永蕗子の歌を気楽に読めるようになった。
 さて、午後は種まきをしよう庭に出た。むらがる蚊を払い、叩き潰しながらの作業。
 種を蒔く花の色にあわせて紫色とピンクのポット鉢を7〜8個用意し、鉢底にネットを敷き、培養土を入れた。水を上からかけて土を落ち着かせる。そこに種を蒔いた。 
 矢車草の青色の花とピンク色の花を色ごとに蒔いた。薄いピンク色のアグロステンマも蒔いた。青い矢車草が初夏に咲くいちばん好きな花のひとつなので5つのポット鉢に蒔いた。ピンク色の矢車草は2つの鉢に。アグロステンマも2つの鉢に。
 ぽつぽつ降り出した雨のなかの作業だ。
 今年も来年の春のことを考えて種まきができる。ある意味。幸せである。いつかは、種まきしようと思わない時、したいと思ってもできないときが来るだろう。その時までの限りある幸せを感じている。


 円蓋の回廊に影落とし歩く北ポルトガルの古城のホテル

 平成の終わり近しとはいへどもうちなる昭和いまだ終わらず

 葉をもれる円光揺るる昭和の廊下眠る父も犬も見へず

 過ぎ去りし夏みずみずと抱き秋の茗荷が木陰に顔をだしたり

 花咲けばわれにもがれるを時季が来てうす黄の花咲かす茗荷

 茗荷の水に浮かぶが虫に似る夕べキッチンの灯をともす