向かいの家に子犬が来た

 昨夜は雨が降ったようだが今朝は晴れていた。早朝はかなり気温が下がった。室温は9℃ほど。エアコンをすぐつけた。
 土曜日だけ小売りをする近くの卸の店でお昼前に買い物をした。近所の商店がどんどん店じまいをするので、この店に来る人が多くなった。鮮魚と野菜果物、魚介や海藻などの加工品、パンやお米も売っている。魚は捌いていくれるのでいつも頼んでいる。
 昨日の続きで年賀状に使う絵を今日も書いた。ガラス製の柴犬の置物を2枚描いた。だがガラスには見えない。質感が出せないのでいまのわたしにはこれが限界かも。
 今日は母の誕生日なので夕方近くになり近くの寺に墓参に行った。父の誕生日のとき持って行った花が今も元気に咲いている。最初から開いていた百合の花は花びらのふちが茶色くなってきたがつぼみが花開いてさらに華やかになった。母は生きていれば102歳の誕生日。何年たっても毎日のように母のことを思い出す。いや忘れていないから思い出すというのはおかしい。一日に少なくても一回は母のことを思う。それは二匹の愛犬も同じこと。一回どころか何回も。
 墓参の帰り、遠回りして散歩を兼ね、さらに買い物もして帰ってきた。
 日が落ちて暗くなり始めた頃、買い忘れたものを思い出し門扉を出ると向かいのご主人が子犬を連れて「また飼うことになりました」と話しかけてきた。薄い茶色と白のビーグル犬で大きな耳がたれていて可愛らしい。ビーグルはスヌーピーのモデル犬と言われている。
 昨年の6月に前の愛犬を亡くしていつか飼うかもしれないと言っていた。今日、ペットショップから家に来たばかりと言う。子犬が元気にはねていて新しい家に来たことを喜んでいるようだ。犬のためにも新しい家族を迎えた向かいの家のためにもよかったと思った。
 そんな気持ちとは裏腹に家に戻り、老犬ももこを思い泣いた。1年五ヶ月しかこの家にいなかったが短いからといってわたしの愛情が小さくはならない。いまでも愛しく、これからもずっと愛し続けると思う。
 ただ、犬を家族に迎えた向かいの家をうらやましく思う気持ちがある。

 五年前のわれを抱きしめてやりたしよくぞ生きのびてくれたと

 白壁はロゼに染まり小さき窓三姉妹のごと夕陽に向かふ

 愛犬の死ひきずるわれに子犬はまぶしく見ゆるかわいく見ゆる