ふたりの友だちと

 昨夜は早めに眠りについたが夜中過ぎに目を覚まし、その後眠れなくなったので起きて居間に行った。パソコンを開けて見ているうちに眠くなり5時頃再度眠った。
 次に起きたのは8時少し前。朝食に飲む牛乳などをコンビニに買いに行くと、数か月ほど姿を見かけることがなく心配していた近所の友だちが店内にいた。話しかけると二匹飼っている愛犬の一匹が10月半ばに亡くなったという。愛犬の最期を立ち話で聞いた後、買い物をして友だちといっしょに家の方向に歩いた。もう一匹の愛犬もいっしょに。わが家の前でまた会おうねと言ってわかれた。
 友だちの携帯に愛犬が亡くなった日の朝撮った写真が保存されていいて、元気そうな姿が残っていた。その日の午後、様子がおかしいので動物病院に行き、注射をしてもらい家に帰る途中に亡くなったようだ。
 獣医師に家に来てもらい犬の最期を確認してもらったそうだが眠るように微笑みながら息をひきとったとのことで、先生もまったく苦しまずに大往生だったと言ったそうだ。
 おそい朝食を食べ、お昼前に車で図書館に借りていた本を持って行った。ぜんぶ一度返して、再度貸し出しを受けた。
 図書館の少し先にあるスーパーマーケットに車で行き、いくつかの買い物をして家に帰った。
 駐車場で乾かしている培養土をスコップで引っくり返していると、自転車に乗って友だちがやってきた。買い物から帰る途中だった。駐車場であれこれ話しているうちに友だちがおやっと思うような弱気な言葉を口にしてドキッとした。後でよかったら家に来ないと言われ、いちどことわったが友だちのことばが気になり、行くことにした。
 あまり長居はしないつもりだったがかなり長い時間話した。わたしのなかでこうして友だちと話す時間がとても大切なことに思えた。いつでも会えると思っているうちに、時間があまりないことに気づくときが来るような気がした。
 友だちから手作りのお惣菜と手作りのアクリルたわしをもらって暗くなった街を少し遠回りして帰った。
 今日はふたりの友だちの話を聞いて、その思いを受け止めた日だった。


 友と話す時間に限りあると気づくとき窓の外に雀が来たり

 窓の外友がまきし玄米を三羽のすずめがついばみゐたり

 対岸のビル群は灯をきらめかせ眺めるわたしは暗くひとり

 遠回りの道は犬と歩きし道過ぎたる時間をなぞるやうに