朝は風が冷たく陽射しの温みもあまり感じられなかった。
いつもの散歩を終えて家に帰るとほとんどすぐ千葉の農家の夫婦が野菜を満載した軽トラックに乗ってやってきた。わが家から二軒目の家の駐車場に車を停めさせてもらって近所の主婦が何人が来て買い物する。わたしもそのひとり。葉が付いた大根2本と春菊二把、ほうれん草一把、じゃがいも、泥付きの長ネギ、トマトを買った。毎日のように野菜を買っているのでわれながらよく買うなあと思った。大根とほうれん草、春菊は朝散歩した友だちの分も入っている。
ひとり暮しではあるが野菜はなるべくいろいろな種類をたくさん揃えて食べるようにしている。
午後は車でスーパーマーケットとホームセンターがいっしょになったような店に買い物に行った。駅前のスーパーマーケットより遠く、柴犬レオやももこがこの家にいたときはほとん行かなかった。行っても年に1〜2回ていど。最近は月に3〜4回ペースで行っている。
ももこがいた時よく通っていた店に行くと、ももこがいたときのことを思い出すことがあり、それが辛くなるときがある。ぜんぶの店を代えることは無理でも一つ二つかえるだけで前(愛犬がいた時)とは違った生活になったと自分を納得させることができる。それはそれで寂しいのだが時間がたてば慣れることもあるだろう。
生きるために眠る人と永久(とわ)に眠る犬夜々ひとつの部屋で眠れり
後ろ髪引かるる思ひ抱きて愛犬の眠る部屋を後にせり
写真の中の時間は止まりていると強く感じる一日でありぬ
かすみ渡る夕暮れの空遠見する富士の山の今日は眠りおり
飛行機の音ある日から繁くなりわが悲しみその日から深まる
愛犬を二匹死なせて節分の豆まきをする気の失せたる
節分にひとりなれば恵方巻など食らいつきから元気も良し
靄がかる暮れ方の空丹沢の山やまはうす墨色の寝釈迦仏のごとし
大陸のごと雲流れ夜の空に集へる月と星隠せり