昨日は武蔵小杉の歌会に行った

 昨日の午前中は近くの特別支援学校のカフェに行き、菜園で育てたハーブティーを楽しむ。
 校内の菜園で採れる秋冬の野菜の種類がだんだん豊富になってきた。昨日はほうれん草と味見菜が売店に並んだのでどちらも一束づつ買った。売店に来た近所の奥さんに声をかけられ、里芋をたくさんもらったからおすそわけしたいと言われた。学校のすぐ近くなのでご自宅まで付いて行き、ちょっとだけお邪魔して里芋、さつまいも、チョコレートをいただいた。これらを持って学校の中のカフェに戻り、いただいたものをさらにそこにいた知人におすそわけした。
 するとカフェにいる知人からご自宅で採れた柿を7〜8個いただいた。もらいものを重なり、なんかうれしい。
 早めに家に帰り、早めの昼食をとり急いで家を出た。駅までの15分余りの道のり、考え事をしていたためか、途中の景色をなにも覚えてゐない。いつもは辺りを眺めながら歩き、短歌のひとつやふたつは詠んでいるのだが。歩きながら歌を考えるのがけっこう好きである。
 歌会は先生の病気報告ではじまった。後ろのほうに座ったのでよく聞き取れないところがあったが、肺の検査を何回もしたとか、胸が痛いとか、好きな酒類を一滴も飲めなくなった、いや飲みたくなくなったなど、語り口は時に冗談めかしているがかなり深刻である。
 肝心の病名がわからず、歌会後に先生に訊ねると肺気腫とのこと。息切れの症状もあるようだ。
 さて、歌会はわたしが提出した短歌2首で後半の部がはじまり、最初の1首は誰も選んでくれなかった。歌について寸評を求められると「むずかしくてわからない」とか、歌の内容がわかっていない人特有のことばが出てくる。
 だが先生がわたしにとって最上とも思えることばでほめてくれた。「発想がとてもいい。詩人、歌人の感性だと思う。こういう独特の発想はまわりの人に何と言われても続けられるといい。」ただ、歌の表現はもう少し考え直さなければいけないと。
 2首目の歌はふたりの人が選んでくれたが、先生は最後の一言がよくないと直してくださった。

 絶不調にもかかわらず歌会に来てくださった先生に感謝の気持ちを伝えたい。先生は今回の歌会に以前の歌会に出した歌と同じものを出し、さらにその説明も以前の歌会とほぼ同じだった。このことに何人かは気づいたがなかには気づかない人もいて、同じ歌を出した先生にもそのことに気づかない歌友にも驚いた。
 毎年末に開く忘年会は歌会の後、みんなで話し合って中止することにした。先生の体調を見ながらもし良くなれば新年会を開くことにした。

 今日はほぼ家にいてまとまったことは何もせずに一日が過ぎてゆく。石川啄木の歌集『一握の砂』の続きを読みたいし、図書館に借りている本を返しに行きたい。若山牧水の歌集も読みたいし、他にも読みたい歌集、本がある。都立美術館で開催中のムンク展も見に来たい。
 花壇の植え付けなど庭仕事もまだ半ばである。ビオラやストックなど花苗の植え付け、チューリップ、ヒヤシンスなどの植え付けをしなければ・・・・・・・。遅くても12月初旬までに。
 ブログを中断して庭に出て、ストックを花壇に植えた。プランターにチューリップの古い球根とビオラを植えるために培養土を入れたが土の量が少し足りないので植え付けは明日以降に伸ばした。柿の木の根元に大きめの穴を掘り、落葉を放りこんだ。今年は植木屋が柿の木を切り詰めたので落葉が少なく、こんなことでも寂しい。大量の柿の落葉は柴犬レオがこの家にいた2012年の秋を思い出させてくれる。

 
 自転車に乗る友声をかけそびれ去りゆく姿をしばし眺むる