誕生日に

 いつもの朝の散歩から帰ると庭の古木の梅につがいの目白がいた。
 枝から枝へと移動し、梅の花蜜を食べている。木の近くをわたしが歩いても逃げ出すことがない。花がないときは木に近づくとさっと飛び立つのに、花蜜がよほどおいしいのだろう。
 今日はわたしの誕生日。前々からこの日はお墓参りに行こうと思っていた。なんとかここまで生きてきたと報告するために。いちばん私のことを心配してくれたのが父母なので元気にやっているよと伝えたい。
 昨日行けなかったので車で花屋に行き、3種類の花の束売りを買った。濃いピンク色のストックと薄いピンク色のアルストロメリア、もうひとつ名前のわからない薄紫色の花。花屋から駅前のケーキ屋に移動し、自分のためにケーキをふたつ買った。家に帰り、墓参用の花束を作り、水切りをしている間にケーキをひとつ食べた。誕生日にお墓参りだけでは寂しいのでせめてケーキでも食べようと思った。ひとりで食べるのだからどっちにしろ寂しいかもしれないが気楽に楽しめるのも悪くない。ひとりでもふたりでもさんにんでもおいしいものはおいしいのである。気の合わない人といるよりひとりのほうが百倍幸せだとも思う。
 水をたっぷり吸わせた花を持ってお寺まで歩いた。お寺に向かうゆるやかな坂道に面した民家の庭には古木の白梅が数本ほあり、満開となっている。藪椿の赤い花も咲き、土佐ミズキの黄色い花も咲き始めている。庭の奥には紅梅も見える。
 花に癒されながらお寺まで歩いた。数日前にきれにしておいたお墓に新しい花を手向け、お線香をあげた。母が他界してから9年たち、わたしは10歳年とった。父が亡くなってからは6歳年とった。生きている限り毎年、年を重ねていくしかない。母は今のわたしの年齢の頃、大病をした。絶対安静の状態で入院生活を送った。同じ年齢になるとたとえ病気にならなくても母の気持ちに近づけるような気がする。だんだん自分の身体が思うように動かなくなっていったのだろう。今のわたしならあの頃の母にもっとやさしくできる・・・・・・

 朝早い白梅の木に毬のごと目白が枝を行き来したる

 くちばしを口づけのさまに花にふれ目白は蜜を吸ひていたり 

 高層のビルの頂き鍬形のあごのかたちにクレーン車立つ

 桜田門、五反田の上に雲見つつ車で下を通り過ぎぬ

 門並びの家の二軒がなくなりて空が広いと弟言へり

 門先に春の訪れ見ゆる日は花のスカーフゆるりとまきぬ

手紙出しその帰り道に仰げば白梅と星ちりばむる空
 
家の灯に浮かび立ちたる白梅の夜の顔は昼より老ゆる