ああ大みそか

 冬らしい朝の冷え込みもなく、おだやかな2015年の大みそか。このブログを書きながら、お正月のお飾りをまだ出していないことに気づいた、今年の干支の猿の飾りを買うのを忘れていた。玄関だけは新しいお飾りが吊り下げてある。
 いろいろな買い物をしてもう買うものはないと思っていたが午前中、日記帳を買ってないことに気づいた。2005年1月1日から5年日記帳を使っていて、今年でその日記帳の2冊目が終わる。日記を書き始めてからの10年。いろいろなことがあった。身近な生活を共にする家族が一人また一人といなくなる歳月でもあった。結局わたしひとりが残ったのである。
 そのひとりになったわたしが今年の3月、保護犬ももこと出会い、家に迎え入れ、いっしょに暮らし始めた。推定年齢12歳といわれたがこの犬を見た誰もがもっと年取っているという、ちょっと可哀そうな犬である。わたしまでもそう思うとももこがもっと可哀そうなことになるので、わたしは信じることにした。ももこは2016年1月1日に13歳になることにした。
 今日はももこにとって12歳の最後の日。明日から1歳年取るが、頑張って生きていこうね。
 午前中は車で駅前に行き、2016年から2020年の5年日記を買ってきた。今まで黒い表紙の日記だったが新しい日記は赤い表紙にした。この10年と同じ10年にはしたくない、そんな気持ちもある。父母がいた頃の生活、愛犬レオとの日々を忘れて新しい一歩を踏み出そうという気持ちはまったくないが、どんなになつかしくても戻らない日々なのである。
 これからもレオのことを身近に感じてそばにいるような気持ちになることはかわらないだろう。
 家に帰ってきてまたひとつ買い忘れたものを思い出した。お年玉用のポチ袋。近くのコンビニに買い行こうと思ったがもしかしたら父母が使い残したものがあるかも、と思い、探すと出てきた。母が3種類のポチ袋をポリエチレンの袋に入れて残していた。そのうち3枚を使わせもらうことにした。
 ポチ袋を探しながら、過ぎ越し日の父母がよみがえるようないくつかのものが出てきて、なつかしかった。
 大みそかに1年を振り返るだけでなく、何年も何年も長い歳月を振り返った。
 今年はそういう大みそかである。
 これを書いている最中、ももこは夕ご飯はまだかと部屋を歩き回り落ち着かない。ももこにとって自分の年齢など関係ない。ただ生きるのみである。そういうももこが可愛くてたまらない。


紅白の絞りの椿がぼちぼちと咲いてきた
神様がていねいに1輪1輪描きこんでいるような、そんな感じでゆっくりと花開く

庭の隅に冬の光を集めて白く輝く日本水仙が今年も咲いた

びっしりとつぼみをつけた沈丁花
松任谷由実の「春よ、来い」で沈丁花のつぼみを涙に例えている
まだ固いつぼみを見ると、閉ざされた涙というイメージ
春になり暖かくなれば、涙がほろほろとこぼれるように花開くのだろう