家でほとんど何もせずに過ごした

 朝から空気があたたかく、日中はかなり気温が上がった、堀炬燵を出さなくてよかったと思った。
 昨夕、亡くなった柴犬レオを思って泣いた激情は返す波のように引いたが、レオを思う気持ちが残っている。朝方、老犬ももこを散歩に出した後、道路に面した駐車場のまわりの土留めのブロックに置いたポット苗の小苗に水をやった。数段積み重なったブロックを見ると、ここにもたれて駐車場の周囲を歩いていたレオの幻が見えた。どんなに愛したことか。それでも少しづつ脳の病気が進み衰えていくレオに何もできなかった。できたのは見守って共に暮らすことだけ。できるだけレオの辛さをやわらげようにしたが、レオにとってどうだったのかはわからない。
 老犬ももことの暮らしも同じようところがある。老いた犬の衰えた機能を少しでも手助けして、気持ちよく過ごしてほしいと思うが、こちらの体力にも限界があり、犬の気持ちがすべてわかるわけでもない。わたしにとってのベストを尽くし、それがももこにとってのベターになることを祈るばかり。
 またいつか柴犬レオを思って、泣き崩れるかもしれないが、こうして声を出して泣くことができるのはももこがそばに居るからかもしれないと思った。ももこがそばにいる安心感があり、ももこにいやされているからこそ、泣けるのかもしれない。
 ももこは思っている以上に支えてくれているように思う。