スモモの絵を描く

 早朝は雲ひとつない青空で今日は暑くなりそうと思ったらその通りになった。日中は夏空がひろがる。南から北西にかけての低空に、入道雲のこどものような雲がもくもくと湧いている。
 お昼近くに、残りのツツジの剪定を少ししたが日陰でも暑かった。今日は連日のスモモの収穫を休んで、絵を描くために何本か果実の付いた枝を切った。枝ぶりやスモモの付き方がよくないと絵にならない。絵を描かない枝は水切りして花瓶にさして生花として楽しむことに。
 居間の低いテーブルに枝を置き、鉛筆でスケッチしたがすぐお昼になってしまったので中断して買い物に出た。テーブルに置いた枝にはスケッチブックで被せて、老犬ももこが食べないようにした。ももこはスモモが気に入ったみたいで、毎朝夕、わたしといっしょにそれぞれ一個ほど楽しむ。わたしは4〜5個食する。
 短い買い物から帰ると、下に敷いたラグに丸い湿り気が点々と。ももこがスモモを食べたなとすぐ思った。果汁が多いので滴ったのである。枝つきのスモモは無事だったがその横に2個、枝から離れたスモモを置いたことを忘れていた。それが一個に減っていた。わたしはももこにバカバカと言って、手のひらで軽く小突いた。種ごと食べたようだが、大丈夫だろうか。ももこは悪いことをしたとぜんぜん思っていない。こういうももこを叱っても仕方ないと思ったが、もやもやした気持ちが後を引いた。
 昼食後、鉛筆スケッチを再開したが、最初描いたような形に枝を置くことが出来ず、違う置き方になったので、最初から描きなおした。ももこはわたしのそばでこちらに背を向けて眠っている、なんかふて腐れているように見える。わたしの態度がいつもと違うのでそれを感じたのかもしれない。



 昨夕、奇妙なことがあった。道路に面した駐車場の道路近くに、お玉を入れたお鍋が置いてあった。中に何かが入っていたみたいだ。誰が置いたのだろうか。こどもたちが駐車場でよく遊ぶが、こどもの忘れ物にはどうしても見えない。気になるがそのままにして、早朝、ももこの散歩のとき見ると、お鍋とお玉はそのままで夜に降った雨がお鍋の中にたまっていた。ところがである。お昼頃、ももこを外に出したとき見ると、そのお鍋が洗ったみたいに裏返しになり、その横にお玉が置いてある。
 これを見て何か不気味さを感じた。最寄りの警察に電話をすると、取得物として警察で預かることができるとのこと。警察から駐在所に連絡してもらい、警察官に来てもらい、取得物として持って行ってもらった。母猫と子猫三匹がこの辺りに出没していることを話すと、猫に餌をあげた可能性があると警察官。なるほど。可愛い子猫を見るにみかねてごはんをあげたのかもしれない。ただ、自分の家の近くだと居ついてしまうので、自宅から少し離れたよその家でやることにしたのかもしれない。
 心優しい人ともいえるが、駐車場とはいえ、人の家で野良猫にごはんをあげるとは。その心の動き方を想像するとなんとも嫌な気分になる。