南天の枝をゴミ出しする

 ひな祭りの日だが、冬が戻ってきたような寒さ。弥生3月というと、花があふれる景色が目に浮かぶがまだ冬と春が押したり引いたりしている。
 今日は燃えるゴミを出す日なので、昨日切った南天の枝を手でボキボキ折って短くして紐で束ねたり、ゴミ袋に投げ込んだ。庭の通路は枯葉が少なくなったが草が生え始めたので軽く草むしりをした。そんなこんなで1時間くらい庭に出て作業したら、疲れてしまった。切った南天の枝はあと三分の一ほど地面に残っているが、そのままにして今日の作業は終了。前ほど体力がなくなったというか気力がなくなったというか。
 昨年の今日は、友だちの愛犬が亡くなった日。「命日だね。1年たったね」とメールを送ると、「(亡くなった愛犬が)昨日、夢に出て来てくれた」と返事があった。9年前から付けている5年日記を見ると、昨年の3月3日は友だちから電話があり、彼女の愛犬が亡くなったことを知った。さらにその1年前(2013年)を読むと、その愛犬を動物病院に預けて点滴を受けていると書いてある。レオのことも書いてある。「レオは朝9時頃、わたしが庭に出ている間に起きた」と。
 さらにその1年前(2012年)の3月3日を読むと午前中オカメ桜が届き、午後植え付けをしたと書いてある。植え付けの後は父のお墓参りと買い物に行き、時間がかかったのでレオに寂しい思いをさせたとある。さらにその1年前(2011年)の3月3日は、父が亡くなりまだ四十九日も迎えていないときで、8日後に東日本大震災が起こる。


 上村君のことをテレビで見ると、周りの大人たちに彼が陥っている辛い状況を伝えられなかったのはなぜなのかと痛切に思う。18歳の少年による仕返しの暴力が怖かったのだろうか。大人たちももっと上村君の気持ちを汲んだ親身で的確な対応が必要だった。一歩突っ込んだ対応が誰もできなかった、なんて寂しいことか。いろいろなことがわかってくるにつれて、人を人と思わないあまりにも残酷な振る舞いに目をそむけたくなる。