世田谷美術館を訪れる

 年が明けてからなるべく早く美術展を観に行こうと思っていた。いくつかの展示会をチェックしたが自宅から割合と近い世田谷美術館の「難波田史男の世界」を観に行くことにした。
 朝は6時過ぎに起きたが、9時過ぎにまた眠くなり、横になり12時前まで眠ってしまった。起きて昼食を食べすぐ出かけようと思ったが、BS放送で奈良や京都の国宝の仏像を巡る番組を放映していてたのでほぼ最後まで見てでかけた。
 車で行ったが混雑はなく行きも帰りもスムーズだった。美術学校で絵画の勉強をすることなく、自らのイメージを自由に描き出した難波田史男は32歳で旅の途中のフェリーから転落してこの世を去った。事故だったのかそれとも・・・・・・。水の精に招かれたのかもしれない。紙にインクと水彩絵具で描いた絵がほとんど。初期の水彩はマットな水彩絵の具かもしれない。  
 インクの細い線で描かれた形は自由奔放だが、ミロのイメージを感じさせるところもあった。なんでこんなに豊かなイメージが湧き上がってくるのだろう。実際にあるものを見て写生するという描き方はまったくしていない。
 色彩の使い方は自由に彩色したと言うより、実験的に彩色しているような気もした。透明水彩の色のさまざまな彩度、明度、色調がこれでもかこれでもかというほど多彩に展開され、同時期の作品は同じような色調でまとまっている。難波田氏は色彩を生の歓喜という。線は哲学的な意味があると。
 別の展示室で、梅原龍三郎画伯が描いた高峰秀子肖像画が11点ほど展示されて、こちらもよかった。色鉛筆やパステル油絵具で描いた高峰秀子の、力強いイメージに引き寄せられた。
 さらに別の展示室で世田谷区民参加の絵画展が展示されていた。ただ上手な絵というだけでは上位入賞が難しいことを実感した。グランプリをとった油絵は窓辺の椅子に座る女性を描いたものだが、光の扱い方がすばらしい。バレリーナたちの練習風景を描いたドガパステル画の光を思い出した。


世田谷美術館がある砧公園の緑地広場では
こどもたちが凧揚げをしていた



美術館の帰り、公園の木々の上にお月様が出ていた