昨日は明治神宮歌会へ

 朝から晴れて気温が上がった11月最後の日曜日は、明治神宮で歌会があった。
 朝起きて朝食を食べた後、昨日の雨で落葉した桜や柿の落ち葉を掃き集めた。桜の木も柿の木も残っている葉がまばらとなった。落ち葉はゴミ袋に入れたり、柿の木のそばに掘った穴に投げ込んだ。
 10時過ぎに家を出て、JR山手線に乗って明治神宮に近い原宿駅へ。
 今日の短歌の当座は「年の暮れ」であった。講師の方は岡野弘彦さんがいらっしゃった。
 参列者がそれぞれ作った短歌を短冊に書き、会場の前に置かれた箱に納めた後、先生が会場に来られて、講話をされた。戦争が終わった後の変化として、歌人たちが短歌を朗読することがなくなったと言われた。石川啄木は、若山牧水が自作の歌を自らの声で詠吟したのを聴き、いいものだという感想を残しているそうだ。先生は天皇皇后両陛下のために、万葉集におさめられた舒明天皇が詠まれた国見の長歌を詠吟されたとのこと。昨日はその長歌を会場で詠ってくださった。歌とは声を出して詠うものだとしみじみわかった。短歌や長歌の言葉は音となって、その魅力をあますことなく伝え、聴いている人は文字だけで読むより深く強く感じることができる。短歌は言葉の調べであると先生はよく言われるが実際に詠吟を聴くことでよくわかった。
 今回わたしが提出した歌は、歌というにはあまりにも未熟でつたなく、作った本人が気落ちするような歌だった。
 また、先生が話される内容から察するに、参加者の歌もいい歌がいつもに比べて少ないような印象を持った。
 歌会からの帰り、よく優秀作として選ばれる方とJR山手線で途中までご一緒したが、短歌にかけてきた時間の多さ、情熱の強さを知り、驚いた。わたしはとてもこういうふうにはできないなと。自分のやり方でかけられる時間を使って、やっていくしかないなとも思った。


昨日、掃除をする前の庭の落ち葉


昨日落ち葉を掃き集めた後の庭


今日は外出が続き疲れたので一日中、家にいた
庭の柿の木から柿をふたつほど高枝鋏で取り
その一つを描いてみた
2Bの鉛筆で下描きして、水彩色絵具で彩色した
柿の色、葉の色、背景の色をもう少しなんとかしたい