やっと種まき

 朝から晴れて文字通りの五月晴れ。新緑が繁る庭では木の葉を揺らして、風が優しく通り抜ける。
 朝早い時間に、百日草の種をまいた。チューリップを掘り起こした細長いプランターに直播き。もう一つは、浅鉢にばら撒きというか、芽を出し本葉が出たら植え替えるつもりで適当に蒔いた。プランターの方はそのまま育てていくつもりで蒔いた。
 これだけでひと休みしたくなり、庭仕事を切り上げ、家に入った。少したってから車で図書館に行き、予約していた本を4冊受け取った。歌人河野裕子さんの歌集3冊と、闘病生活を送る河野さんと家族で綴ったエッセイ集である。返却時期が過ぎている本が2冊あると指摘されたが、あいにく持ってこなかった。また別の日に返すことにしよう。
 図書館からの帰り、思いついてお寺に寄り、墓参した。今日は母の日なので、できれば行きたいと思っていた。昨日、白い芍薬とストックを何本か持って行き、墓前に手向けたが母と会話もしないでそそくさと帰ってきた。今日は母がいたときの最後の母の日を思い出した。後ろの襟ぐりの下に猫のイラストが入ったTシャツをプレゼントしたが、それを着た母を後ろから見たとき、背中や腰のあたりが痩せてきたなと感じた思い出がある。食が細くなってきた頃だった。
 墓地でゆっくりし過ぎたかもしれない。家に帰ると、テーブルに紙袋が置いてあり、デニッシュパンが入っていた。弟が久しぶりに訪ねて来たのである。実は昨夜こちらから電話して、施餓鬼法要の時に父母にお塔婆を2本手向けたいので、弟の了解を得たのだがその時、今日、こちらに来るという話になったのだ。わたしは弟が来ることを知っていたが多分お昼近くだろうと勝手に予想してでかけたのである。ところがいつもより早い時間に家に来たので、会うことなく帰ってしまった。もし、昨年亡くなった柴犬レオがいたら、相手をしながら待っていたかもしれないが、弟もいろいろ忙しいのかもしれない。
 夕方近く、千日紅の種も蒔いた。平鉢ひとつ、ポット鉢3つ、4つに分けて蒔いた。百日草と千日紅、どちらも花の時期が長いことが名前になっている。夏の終わりころから秋の終わりまで長く咲いてくれるはずである。


木漏れ日がそそぐ庭
この季節、レオはよくこのあたりをくるくる回りながら歩いていた
といっても一昨年のことで、昨年は歩く元気がなかった


レオが歩いた所に生える雑草を手でむしった
もう歩くことはないが、きれいにしておきたいと思った


百日草を蒔いたプランター