古い友だちの展示会を観に行った

 冬晴れの空がひろがる成人の日。午前中は、弟が〈一日遅れだが)母の命日の墓参に来た。ちょうどパソコンにプリンターのドライバをインストールしているところだったが、先にお寺に行った弟を後から追いかけ、ちょうど弟が帰るところに間に合ったので、お参りをしていっしょに家に帰った。母もいつもわたしだけの墓参より弟が来てくれて喜んだだろう。
 午後は、昨年末の近代建築公募展に足を運んでくれた古い友人が銀座で母親と二人展を開いているという案内をもらったので、初日にでかけた。お母様はパステル画で,友だちはリトグラフと油絵の作品を展示している。もう20年以上前にリトグラフをはじめ、現在はやめたようだが当時の作品が展示され、その中の一枚の絵にわたしの後ろ姿が描かれていると示され、軽く驚いた。タイのバンコクからチャオプラヤ川をクルーズ船でアユタヤの町までクルーズしたと記憶している。わたしは仕事でクルーズ船に乗り,友だちは熱帯の雲をリトグラフで表現したいと個人的にタイにやってきて船に乗った。いっしょに船に乗ったのは偶然だった。
 そのときのクルーズがどのようだったか、あまり覚えていない。リトグラフは船の上でデッキチェアに座る乗船客の後ろ姿と対岸の景色が描かれており、絵の中にいる自分をなつかしく眺めた。モノクロのリトグラフの中で、時間は永遠に止まったままのように感じた。
 友だちは「俳句バイキング」というブログを一昨年から続けていて、毎日、一句の俳句を想像力と創造力、ときには妄想力を駆使して解釈し、ブログに載せている。それが、「名句と遊ぶ 俳句バイキング」という一冊の本にまとめられ、昨年末出版した。頂戴した本を全部は読んでいないが、かなりおもしろい。短歌を鑑賞していても、これはいったい何を詠んでいるのか、首をひねるような作品があるが、そういうものも自分の解釈で読み取るしかないと最近思うようになった。友だちの俳句バイキングは、そういう思いと重なるところがあり、だから読んでいておもしろいと感じたのだろう。


午後の銀座は、銀座通りに太陽の光がさんさんと注ぐ
歩行者天国をのんびり歩く人たちは太陽の恵みを一身に受ける
高いビル群に切り取られた冬のクリアな青い空を時々見上げながら歩いた