昨日は東京都写真美術館に行った

 昨日は有楽町のJR線路際で火事があり、東京の交通網が乱れたが午後になり、恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館に行った。実は、まず東京駅のステーションギャラリーに行き、その後で行こうと思っていたが、火事になり、出鼻をくじかれた感じで計画を変更した。計画の変更がいい結果になった。
 写真美術館では「植田正治&ジャック・アンリ・ラルティーク 写真で遊ぶ」を観た。ラルティーク氏の写真は、何を撮るかという被写体の選択はあるが演出はあまりない。植田氏の写真には被写体の位置、配置や小道具など演出をほどこした写真が多く、どちらもおもしろかった。
 どちらかというと植田正治の写真のほうに共感をおぼえ、好きだと思った。ほとんどがモノクロ―ムの写真だが、何枚かカラ―写真があった。晴れた空のもと、赤茶けた急な斜面を女の子がふたり下っていく写真は、遠い昔の風景をよみがらせた。わたしが住んでいる地域にもまだ宅地になっていないこういう急斜面がいくつかあり、よく眺めたものだ。ここを降りて下に行けるだろうかと思いつつ。あの斜面をわたしが実際降りたのか、眺めるだけだったのか、覚えていない。
 童暦シリーズの写真も印象に残ったものが多い。鳥取砂丘で撮影した家族の写真や自画像は植田氏の作品群の中で最も知られているようだが、これもよかった。
 写真展を観終わり、2階のフロアで雅楽の演奏があるのを知り、時間があるので聞くことにした。演奏を聴いているとき、目の前を坂本龍一氏にそっくりな人が歩いてきた(実はそっくりさんではなく本人だったのだが)。
 これがきっかけで、坂本龍一氏、浅田彰氏、高谷史郎氏のトークショーが行われることを知り、急遽、地下一階で開催中の高谷史郎氏の「明るい部屋」という展示を観た。美術館では異なるフロアで3つの展示会を同時開催していたのだ。
 「明るい部屋」はいわゆる撮影した写真の展示ではなく、写真についての解釈というか写真についての表現というか。ええ!なんでこういう展示なの?と思いつつ、ご本人のことばを聴きたいと思った。
 三氏は山口市にあるワイカムや、京都、札幌などでさまざまな活動を共にしていて、トークショーはとてもおもしろかった。もう少し今回の展示についての高谷氏ご本人のことばを聞きたいと思った。いちばん話したのは浅田氏で明確なことばでわかりやすいが、「東京は(文化的に)田舎」という発言を10回以上繰り返し、笑いを誘った。
 トークショーの会場は満員で、会場外のモニターで参加した。坂本氏と高谷氏のコラボレーションによる活動を撮影したものをいくつか観ることができたのもよかった。

前方の細い建物が東京都立写真美術館

雅楽の演奏に使う楽枇杷の説明をしているところ

三氏のトークショーは会場内で進行中
外でモニターにて参加

 

 今日は昨日の外出の疲れか、なかなか朝起きることができず、寝たり起きたり、9時過ぎまで寝ていた。夢と現実の間にあるような一刻があり、そのとき、亡くなった柴犬レオを腕に抱いて手のひらで頭をなでた。しばらくレオはわたしの側に寝ていて、さわるとからだのあたたかさ、被毛の感触が手に伝わり、抱き上げるとその重さ、からだの柔らかさも感じた。不思議な時間だった。意識のどこかでいまレオがそばに来ているのだなと思った。
 この眠りから覚めてほとんどすぐ、友だちから電話があり、2時間以上の長電話を楽しんだ。年齢がほぼ同じことと住んでいる場所が東京と浜松ということもあり、話題はこれから起こるであろう大地震についてと介護の問題について。新年早々、話題が重いと感じたので、昨日行った東京都写真美術館トークショーの話しをしたら、友だちはもともと写真や美術、現代アートインスタレーションなどに興味があり、話しが盛り上がり、ひろがった。
 最後に、レオの遺骨をどうしているかという話しになり、友だちも愛猫を亡くしており、いっしょに葬ってほしいので遺骨を手元に置いているとのこと。わたしは今は寝起きする部屋に安置し、ゆくゆくは桜の木の根元に埋めるつもりだが、この土地が将来どうなるか不安なのでいっしょに葬る方向も考えてみたいと伝えて、長電話を終えた。


2008年3月のレオ
庭の通路にいる
春の雪が降った