4月も今日で終わる。庭の若葉が日に日に茂るようになり、季節の移ろいが胸にしみてくる。草も木も芽生えたばかりで庭の土や空がたくさん見えていた早春はついさっきのような気がするのに、明日から5月である。昨年の6月15日に亡くなった柴犬レオの命日が近づくのも、心を落ち着かなくさせる。高速バスの事故で愛娘を亡くした親御さんのことばには、〈もう生き返ることはない)とあきらめてもあきらめきれない心情が伺われ、重たく受け止めた。
人の子の親になると思い通りにならないことにいくつも遭遇するだろうが、いちばん大きな〈そして決定的な)思い通りにならないことは不慮の事故に合うことだろう。こんなことを思うのは、昨日、図書館に予約していた本を取りに行ったからだ。「東京物語」と小津安二郎、小津安二郎と「東京物語」という2冊の本と1冊の短歌集を受け取り、
東京物語の2冊の本を三分の一ほど読んで、親と子について考えることとなった。
一昨日に続き、短歌を少しばかり作ってみた。
自己欺瞞ということば本にありてわがこととして考えてみる
昨年の4月30日レオとわたしはどんな一日過ごしにけるらむ
夢の中仕事中の男を待つわたしがいてつまり振られる
雨降って地固まるというがいくら雨降っても固まるものなし
父亡くなり伏し泣くわれを愛犬は見ておりそっと歩み寄りに来
絶え間ない雨は絶え間ない涙に似てもらい泣きする雨の水曜日
紫陽花の葉に揺れる影見つめれば昔のあれこれ寄せては返す
庭の花手向けて祈る朝夕にわが家は仏の棲む家なれば
インターネットエクスプローラーの脆弱性により、ウィルスに感染する怖れありとのこと。仕方なく今朝からグーグル・クロームをダウンロードして、インターネットの検索に使っている。使え慣れなく、エクスプローラーで登録したお気に入りが活用できないので、見たいサイトになかなかアクセスできない。