おだやかな初冬の日に、庭の落ち葉を描く

 庭に植えた落葉樹は紅葉しているものもあれば、葉をほとんど落したものもある。桃の木はいち早く落葉し、桜や柿の木がそれに次ぎ、梅の木やスモモの木はまだ葉を残している。紅葉しているのはカエデとドウダンツツジの葉で、燃えるような赤が彩りの少ない庭で目立っている。
 昨年の今ごろは、庭の落ち葉、桜と柿の葉をひろってきて、何枚かの絵を描いたが今年は描く気になれなかった。やはり、柴犬レオがいた昨年を思い出してしまうからだ。昨年、和紙や、スケッチブックに描いたものを取り出して観てみると、どこか色があせたようにも思える。だがどういう気持ちで描いたかがよみがえってくる。絵を描くときの集中している気持ちをなつかしく思い出した。集中しつつ、レオのことを気にしていた。一段落するとレオの様子を見に行ったり、声をかけたりした。
 こんなことを思い出しながら、ハガキサイズの紙に一枚の桜の落ち葉を描いた。絵を描くときの気持ちは昨年とまったく変わらないが、違うのはレオがいないことだけ。
 いや、変わっていることがある。小さなことだが絵筆を何本か新調したし、水彩色鉛筆を今年のはじめに新しく買った。実は昨年春頃、ネットショップで36色の水彩色鉛筆を買い求めたが、実際届いたのは油性色鉛筆だった。だが油性色鉛筆なのに水彩色鉛筆だと思い込んでずっと使っていた。いくら水で濡らしても色が出ないことを不思議に思っていたが気づかず、気づいたのは年が明けて今年の1月だった。それで新たに水彩色鉛筆を買ったのである。
 昨年描いた柴犬レオの絵を見ると、レオに申し訳ない気持ちがわいてくる。色づけがあまりきれいでないから。レオの絵は昨年4月に描き始め、今年の5月末が最後で、1年余りの間だ。そのうち半分以上の期間は、感違いした画材で描いていたのだから、もっと早く気づいていればよかったと思う。
 ただ、画材はともかく、眠っているレオをひたと見つめてスケッチしたその時間は間違いなくあったもので、描きためた絵を見ているとそのときの気持ちがよみがえってくる。レオが寝がえりを何回も打つので、すばやく描こうとしたが、それでも描きそこなって、練り消しゴムで消して描き直したり。密度の濃い時間だった。レオの絵の向こうに、レオを見つめるわたしがいる。そのわたしは今もレオを見つめているのかもしれない。


ハガキサイズの紙に描いた後、
スケッチブックに3枚の柿の葉を描いた
サインペンでスケッチし、水彩色絵具で彩色


通路の右の紅梅は葉をぜんぶ落して裸木になっている
左のカエデは色鮮やかに紅葉