柴犬レオの百か日

 今日はわがレオが他界してから100日目にあたる。百か日忌(ひやっかにちき)といい、卒哭忌とも言うそうだ。大切な人が亡くなり百日が過ぎて、そろそろ悲しみに涙する日々から立ち直る時期として行う法要のようだ。
 父母のときは、この法要があることさえ知らなかったが、レオの場合は百か日を区切りとして意識し、今日一日を過ごした。ただ、レオを思い出し泣くことは卒業できそうもない。
 朝の散歩はいつもと同じようにお墓参りをして、今日は坂の上の方に足を向けた。目的地があるわけでなく、ところどころでどちらに行こうか迷いつつの散歩だ。交番の前で右に行こうか左に行こうか迷ったが、右に進んだ。遊歩道があるのでそこをめざし、遊歩道沿いに自由ヶ丘方向に歩こうと思った。ところが、交番の横を歩いているとき、目の前をどさっと音がして何かが落ちてきた。子雀だ。身体を斜め横にして、片方の脚が宙に浮いている。しばらくじっとしていたが、身体を起こして移動しようとする。上手く歩けない。よろめいて身体が片方に傾いてしまう。
 この姿を見て、最後のほうの柴犬レオを思い出し、目頭が熱くなった。通り過ぎ散歩を続けようと思ったが、なんとかできないかとも思った。道路に面したコンクリートの上は日もあたるし、衰弱してしまう。散歩の犬も通るし、襲われるかもしれない。結局、交番のお巡りさんからもらった紙袋に子雀を入れ、家に持ち帰ったのだが歩きながら、後悔の気持ちがわいてきた。というのは雀は群れで生活していて、群れから離れたら生き延びることができないのではないかと思ったからだ。たとえ、怪我が回復しても、群れから離れては生きていけなのではないか。
 少し元気になったら、元の場所にもどそうと思った。裏庭に子雀を紙袋に入れたまま置いて、子雀を入れる入れ物を探しに物置に行っている間に、雀は袋から出ていた。うずくまっているので、こんどは水を入れた器を探しに行くと、その間に姿が見えなくなった。まさか飛んで行ったとは思えず、探し回ると戸袋の下にいたので、洗面器にちぎった新聞紙と落ち葉を敷いて、その中に子雀を入れた。そこからもしばらくすると逃げ出し、そのまま姿が見えなくなった。
 子雀にとって、わたしから離れることがまずしなけれないけないことのようだった。例え、傷ついていても、人間はこわい存在なのだろう。いや傷ついたからなおさらこわいのだろう。
 あの交番の近くに置いてくればよかったとつくづく思った。交番近くにはお寺があり、たくさんの木々が植えられているので、多分そこに巣があるのだろう。巣立ちをするとき、うまくいかずに、交番の屋根から落ち、コンクリートの上に落ちて脚を痛めてしまった。息遣いが荒かったので、多分生き延びることができないように思えるが、巣の近くで死ぬ方がよかった。群れの仲間たちの鳴き声を聞くこともできただろう。
 命を救おうとしたのだがかえって情けが仇になってしまった。傷ついた子雀に老いて身体が不自由になったレオを重ね合わせて、冷静な判断ができなかったこともある。自然に生きているものには人が手出しをしないほうがいい場合もある。
 子雀よ、許してください。
 
午後は柴犬レオと5〜6回訪れたことがある、目黒区のパーシモンに車で行き、図書館で本を数冊借りた。『寺山修司全歌集』など。その後、テラス席のあるお店でランチを食べた。この店はレオと2回入ったことがあり、レオが亡くなってから何回も訪れている。
 食事をしながら、レオとこの店に入った時の記憶が少しずつ薄れていることに気づいた。レオがいなくなったことの寂しさ、レオと過ごした時間の記憶が薄れて行くことの寂しさ。だが突然、自分でもびっくりするほど鮮やかに記憶がよみがえることがあるのだ。まるでさっきまでレオがそばにいたように。