映画感想『少女は自転車にのって』

 サウジアラビアの首都リヤドに住むワジダという10歳の少女の物語。映画館が国内にひとつもないサウジアラビアで初の女性監督が作った映画である。ワジダの母親は毎日、乗合いの車に乗って仕事場に通勤する。父親は一緒に暮らしていなく、週に一度ほど母子が住む家にやってくる。サウジアラビアでは家系図に男性しか書き込まれない。ワジダの母は男の子を州産することができず、父はそのため第二夫人を娶ろうとする。こういう家庭の事情をかかえるワジダだが、10歳とは思えないほど自分の考えをしっかり持っている。ワジダを見ていると、彼女が通う学校の校長先生や先生たちがかわいそうなほど因習にがんじがらめに縛られた、偽善者に思えてくる。
 ワジダが自転車に乗りたいと思うようになったのは、幼なじみの少年に自転車で追いかけられ、ヒジャブという髪を隠すスカーフをとられたから。自分をからかった少年と自転車で競争して勝ちたいと思った。
 なんとか自転車を買おうと、母親にねだるが女の子が乗るものではないととりあわず、お小遣いもなかなかたまらない。コーランの暗唱コンテストに優勝すると、ちょうど自転車の代金と同じ賞金がもらえることがわかり、持ち前の集中力を発揮してがんばり、見事、優勝してしまう。コーランを暗唱するワジダの声は歌うような抑楊が美しく、宗教心のないわたしも聴き惚れるほど。
 優勝賞金を獲得したワジダ。さてどうなるか。女性校長先生に、ワジダが痛烈なあてこすりを言う場面。彼女は大人にほめられたからといって、その手に乗らない筋の通った少女なのだ。
 ワジダが疲れてソファに眠ってしまい、目が覚めると夜になっていて、部屋には誰もいない。別の部屋にも母の姿は見えず、屋上に行くと母がいた。母親とワジダの絆の強さが現われていて、印象的な場面だ。
 自転車に乗ったワジダがアバーヤという黒い身体を被う衣服をはだけて、ジーンズをはいた脚をさらけだすところ。見ている方も解放され、うきうきしてくる。彼女は黒い衣服ですっぽりとジーンズ姿を隠して学校に通うが、足元はハイカットのスニーカー。さっそうと歩いて学校に通う姿がかっこいい。


 今日、9月20日はお彼岸の入りの日。午前中、お墓参りに行った。柴犬レオがいなくなってから、はじめてのお彼岸。母が亡くなってから春と秋のお彼岸の墓参は欠かさないが、最初の頃は父とレオがいて、父が亡くなり、レオがいて、レオが亡くなり、わたし一人でお彼岸を迎えることになった。しみじみとお参りをした。
 午後は花屋さんに車で行き、父母とレオの仏壇にお供えする花を買ってきた。青の濃淡のリンドウとピンクのリンドウ、ピンク色のトルコキキョウ。