つくづく一人になったなあと・・・・

 柴犬レオがいるときもそうだったが、いなくなってからはなおさら朝早く起きるようになった。レオがいるときは早朝起きてもトイレなどをさせた後、またレオと眠ることがあったが、今は4時ころ起きるともう眠れなくなる。3時ころ起きた時はさすがにこのまま起きようとは思わず、目をつむって1時間くらい過ごすことが多い。
 この時期、4時を過ぎるとうっすら明るくなってくる。まだ夜の暗さが残っている外に出て、まず家の前の道路に面した駐車場を見て、それから近くを流れる丸子川(もと用水路)に行き、レオとよく過ごした橋や渡ったところにある川沿いの桜並木まで歩く。
 早朝のひんやりした空気が流れていると、もしレオがいて朝早く起きたら、きっと抱いてここまで連れてくるだろうなといつも思う。今日も昨日の豪雨の影響か、涼しく半袖だと少し肌寒いくらいの朝だった。こんなことを思ってもしかたないのだが、レオがいたら・・・・と心が彷徨いはじめる。きっとレオを抱いて・・・・・だが命あるものは同じところに止まってはいない。レオはいなくなり、こうして時は過ぎていく。
 目にうっすらと涙を浮かべて家に帰った、こんなこと繰り返してもどうにもならないと思うが、朝早く起きると、どうしても最晩年のレオとよく過ごした駐車場と川沿いに行きたくなる、見たくなる。

 夕方近く、犬友だちがお花を持って家に来てくれた。緑色の素敵な紫陽花の花。紫陽花はレオの花なので、最後の日を思い出してしまった。
 わたしの部屋に安置してあるレオの遺骨の前で、レオの最後の日の様子を話した。いろいろな悔いが残っていることも話した。
 居間に来てもらって、友だちと話すことはやはり、愛犬の死について。友だちの愛犬は2年8か月前に11歳と7カ月くらいで亡くなっているが、まだ立ち直っていないと言う。他界してから最初の2カ月は家を一歩も出られず、買いものをご主人や娘さんにまかせたそうだ。外に出て、犬が散歩しているのを見るのが耐えられなかったそうだ。少したち外に出られるようになってからは、こんどは家にいると愛犬のことを思い出し、外出を頻繁にするようになったそうだ。
 犬友だちはもしかしたらわたしより激しい落ち込みを体験したかもしれなが、彼女にはご主人や娘さんがいると思った。1日中泣き暮らす友だちを見て、心配になったご主人は1週間の間、毎日会社を早退し、家に電話をして友だちの様子を確認し、買いものをして帰宅したそうだ。 
 友だちは当時のことを話しながら涙を流していた。わたしも家にいるとレオがこの時間はこうしていたと思い出すのが辛く、外に出ることが多いと話した。居間の障子を開けているのは、続きの部屋にいるレオをいつも見るために開けていたことがいなくなった今もやめられないからで、障子を閉めるとひとり部屋に残された感じがして耐えられないとも話した。
 友だちが帰ったあと、雨が降っていたがいつものように散歩にでかけ、歩きながら泣いた。初めてかもしれない。レオはわたしにとってかけがえのない存在で、わたしは一人になったんだなとつくづく思った。わたしを頼ってくれた命が消えてしまった悲しみ。文字通り身を寄せて、命と命をからませあい、暮らしてきた日々がなくなってしまった。



今年の3〜4月に撮影したレオの写真を中心にプリントアウトした
写真を見ると、衰えていく様がはっきりとわかり、
ああ、最後に向かっていたのだなと思い、胸が苦しくなる
犬友だちは、デジタルフォトフレームに愛犬の写真を入れて、日中はいつでも見れるようにしているそうだ
それならプリントアウトしなくても見られるし、わが家もそうしようと思った


昨日の早朝撮影した朝顔
青い絞りの模様の朝顔は昨年は咲かなかったので、時の流れを感じる
昨夕方、激しい雷雨が降り、庭は一時水浸しになった
都内では落雷で公共交通機関が大混乱した
だが植物たちは大雨が降り、元気になったようだ