老犬レオが逝った

 16歳と2ヶ月半になる柴犬のレオが今日のお昼過ぎに息をひきとった。
 いつも行く病院に車で行き、3時間もたたなかった。どういう経緯で死んだのかは、もう少したってからでないと書けそうにありません。
 今日の日記はレオに語りかけることばを綴りたいと思います。
 レオはわたしから離れて行ってしまった。身一つで、なんの遺品も残さず(首輪やぬいぐるみなど少しはあるが)。たくさんの思い出を残して逝った。手にあまるほどのたくさんの思い出。はかない命だな。生きているときはずっと生きているような気がすることもあったが、それはまぼろし。いなくなるときはあっけない。父母の死でもそう感じた。あっと言う間の人生だったと。
 レオちゃん、大好きなレオ。誰よりも何よりも愛していたよ。母が亡くなり、父も亡くなり、家族がだんだん少なくなるとき、レオはいつもわたしのそばにいてくれたね。なにより力強いパートナーだったよ。レオにはレオの悲しみもあったろう。そんなことはおくびにも出さず、わたしといっしょに暮らしてくれたね。
 レオの目にときどき、悲しさというか、孤独というか、寂しさというか、小さな影を見ることがあったよ。そんなレオといっしょぬ暮らせて幸せだったよ。
 長い間、こんなわたしと仲良くしてくれてありがとう。水を飲み、なんとか食べ物を食べて、不自由でも歩こうとして、いっしょうけんめい生きようとしていたレオ、お疲れさま。ほんとうにお疲れさま。
 レオはきっとお母さんは僕がいなくても大丈夫と思ったから、逝ったのだね。わたしが父母の死から立ち直るまでそばにいてくれたのだね。レオがいなくなって、立ち直れそうもないが、レオの気持ちを思うとしっかりしないとね。

 Leoleoleoyaの日記はレオがいてこその日記だった。これから、どうしたらいいのか、まだわからないがしばらくはレオの供養のため続けたいです。ただ、前のように頻繁には更新できないかもしれません。
 ブログに訪れ、星をつけ、コメントをくださることでいつもレオを応援してくださった皆様、ありがとうございます。レオもきっとありがとうと言っていると思います。レオとの日々がより印象深く、いい思い出となったのは、ブログを通して皆様との交流があったからです。ありがとうございます。


レオの元気なころの顔を憶えていてほしいので
あえて顔は出さないことにしました