父がもらった絵

 ちょっと前、母の叔父の家に行き、母や祖父母たちの昔話を聞いたことがあった。
 そのとき、父がある有名な画家に絵をいただいたということを叔父から聞いた。わたしはそんな話しは父から全然聞いてなかったが、ならばさがしてみようと思い、あちこちありそうな所をさがしてみた。
 さがしているうちに応接間のサイドボードの引き出しから、色紙が何枚かと色紙サイズの紙に書いた水彩画が出来てきた。落款は押してあるがどう見てもその画家の名前ではないような・・・・・・。念のため、いつも行く図書館に電話をして、その画家がどんな落款を使ったか調べられるだろうかと聞いてみた。時間がかかるが調べて連絡しますということで電話を切ったのが2〜3週間前のこと。
 わからないのだろうとあきらめていたとき、今日図書館より電話があった。その画家の画集三冊があり、その一冊に9つの落款が載っている。作品にも落款が押されたものがあり、それで確認できるとのこと。
 さっそく、図書館に行き、3冊の本を受け取り、そこで見てみた。わが家にある絵に押してある落款と違ったが、この画家の絵をもっとよく観たいと思い、本を借りてきた。その名前は小糸源太郎画伯で、このあいだ描いた三色菫の絵はこの画伯の絵を見て、描いてみたくなったのである。
 小糸氏のアトリエは父母が住んでいた街にあり、戦時中から戦後にかけて、空襲の難を逃れてこの街に家族で引っ越してきたようだ。父は地方公務員だったのでどこかでつながり、なんらかのやりとりがあり、絵をいただくことになったのだろう。絵を描いた人も、その絵を受け取った人もこの世の人ではなく、その絵はみつからないが、これも何かの縁かもしれない。
 小糸画伯の戦後の駅前の並木道を描いた絵は、50年以上の歳月が過ぎたことを忘れさせる。絵画は記録ではなく、時間を超えた表現なのだろう。花の絵もたくさん描いている。画集にこんな言葉が紹介されていた。以下引用「絵描きと色彩は切っても切れない大切なことですがね。花ひとつ描くにしても、そのまんまの色をカンバスに移し変えればと思っている人がありますがね。これでは本物に勝てっこありません。ときにはそれが、かりに赤い花としても、そのままの色を使わなくても、周囲との色の配合で、本物より赤く美しい花になるものですよ。なかなかむずかしいことですがね」

 今日は午前中から午後にかけて冷たい雨が降り、強い風が吹いていた。老犬レオは昨日は雨なので外に出ていない。今日は午後も遅くなってから雨が止んだが、わたしがでかけていたので外に出ることがなかった。家の中だけではかわいそうと思ったのはもう夜になってから。明日は晴れてあたたかくなりそうなので、レオを外に連れて行きたい。

午前中のレオ
庭には乙女椿の落花が散乱し、雨に打ちつけられている


さがして見つかった絵
誰が描いたのかわからない
父はこの絵を飾ろうとは思わなかったようだ
いただいたときの包装のまま、しまってあった