今年の梅の実

 梅の花が終わった古木を見上げると、心なしか実の付き方が少ないような気がする。
 花の咲き方もどこか物足りなかった。昨年の花は大舞台で大見栄をきっているような迫力があったが、それに比べるときれいだが迫力が足りなかった。やはり、そうだったのかと思った。
 この梅の古木は2008年から昨年まで5年続けて豊作で、こんなことありえないと思っていた。それ以前は実がついたりつかなかったり。それも実が付かない年のほうが多かった。父は実がつかない年は八百屋さんから購入していたほど。
 今年は全く実がつかないわけでないが、この5年のような豊作ではないみたいだ。午前中、老犬レオを駐車場に連れて行った時、レオがブロック塀に寄りかかり、動かないので、庭に植えた梅の木の実のつき方をぜんぶチェックした。昨年植え替えをした木だけは、今年のほうは実が付いているが他の木はぜんぶ実の付き方が少ない。
 特にこの5年、どの木よりも格段にたくさんの実をつけた古木の実の付き方の少なさが目立った。古木の太いねじれた幹に手を触れ、声をかけた。いままでたくさんの実をつけてくれてありがとう、今年は休んだんだね、無理をしないでいいよ、と。老いてもがっしりとした幹の中に生命力がみなぎっているように感じた。物いわない梅の木だが、花が咲き、若葉が出て、実をつけ、青葉を茂らせ、落葉するという営みをみていると、同じ生きているものとしてなんか共感できるというか。何十年も同じように生の営みを続けてきたことに、心からお疲れさまと言いたくなったのだ。

今日の花
八重咲きの黄色いチューリップが咲き始めた
八重咲きを植えたのははじめて、時にはいつもと違うチューリップを
植えてみようと思った


こちらはいつものチューリップ
チューリップの赤を引きたてる忘れな草のブルー
最高のハーモニー


 今日の老犬レオは食欲はまあまあ。水もよく飲み、おしっこやうんちもしっかりと出した。ただ、外に出してもあまり歩くことはない。歩く時も、わたしの脚の回りから離れない。離れてもすぐ戻ってくる。自分でも危なっかしいのがわかるのだろう。ただ、おしっこをするときはわたしの脚から離れて歩いて行く。
 最近、レオのとこを知っている人に会うと、もういないのかと思ったとか、まだ生きているの?という言葉をかけられる。なんかレオがかわいそうになってくる。レオになるべく長くいてほしいと思い、本気で心配し、あれこれ心砕いてやっているわたしとは別のところで、人々は違うことを思っているようだ。
 ただ、レオの宿敵の犬がいて、その飼い主さんにすごい久しぶり(3年ぶりくらいか)に会ったら、その犬は昨年末死んだそうだ。その人はがんばって長生きして、とレオにエールを送った。以前は犬同士がいがみあうだけでなく、飼い主同士もいがみあい、わたしはその犬に全身を五か所も噛まれた。
 だが時が過ぎ、やっと水に流せる気持ちになった。

2週間ほど前に撮ったレオの写真を見て描いた
こうして歩いている写真はあまりない
背景を描き込んだ、はじめての絵