時を遡る


 などとタイトルをつけたが、それほどのことはない。
 一か月前くらいに高校時代の同期会を開催するとの葉書が届いたが、出欠が決められず、引き延ばしていた。今日、なんとかなると思い、出席の返事を電話で伝えた。
 午後は前々から訪ねたいと思っていた叔父たち(母の弟たち)の家に行った。母の実家で、現在は同じ敷地内のそれぞれの家に叔父一家が住んでいる。
 若い頃の母や祖父母たちについて、話しを聞きたいとずっと思っていた。叔父たちも80歳代半ば〜半ば過ぎになったので、あまり時間を引き延ばせないと思った。
 最初は下の叔父の家を訪ね、その奥さんも交えていろいろ話した。叔父よりも奥さんのほうが祖父母のことをよく知っていた。というより話し上手なのか。奥さんはわたしの叔母(母の妹)から、祖父母についての話しを聞き、祖母を介護していたとき、耳にした祖母の言葉もおぼえいていた。
 いくつかのことがパズルをはめていくように明らかになってきた。といっても本人たちにこれでいいのか聞くこともできず、あくまで類推の域なのだが、ああそうなのかという事実が浮かび上がってきた。
 わたしは手帳に覚書として書き留めた。なぜ祖父母たちの昔に興味を持つのか。それは自分のルーツでもあるし、また祖父母たちが二度目の結婚で結ばれたということがその前は何があったのかという想像をかきたてるのである。
 こうして知り得た断片的な物語も、わたしがいなくなれば消えていくものだか、それでも知りたい。過去をそのままそっとしておくより、ほじくり返したい性格なのかも。
 上の叔父の家に行き、おもしろいことがわかった。わたしが下の叔父夫婦と祖父母のことを話しているとき、従妹が同じように祖父母のなれ染めや、いつ頃祖父が上京したのかなどの話しをしていたのだ。従妹と同じことを同じ時間に考えて話していたことが不思議だった。
 ここでもいくつかの事実をわかった。祖父母一家は、祖父が勤めていた東○ガスを辞めて温室経営をはじめてから、銀行からの借金を抱えていたのだが、借金取りとの応対はいつも母がしていたこと。祖母はなんとか返済のお金を工面するため、卵の行商をしていたのだが、稼げたお金は自分の家用の卵を買うくらいにしかならなかったということ。
 祖父母一家の苦境がわかるが、それでもなんとか乗り越えてきた。
 わたしは母から聞いた断片的な言葉を頼りに叔父たちに話しを聞き、そこから新しい事実と思われることや、生活のこまごましたことも知ることができた。
 また、時間を作って話しを聞きに行きたいと思った。


 さて、叔父たちの家から帰ってくると、レオは玄関の土間に立っていた。これからでかけるところ、という様子で。いつもだと、横になっていることが多いが、ちょうど降りた時にわたしが帰ってきたのかもしれない。
 さっそくレオを抱いて家の前に出たが、ここでどうしていいかわからないことが起きた。
 ブロック塀に寄りかかるレオのそばに立っていると、お年寄りの女性が近づいて話しかけてきた。「おたずねしたいことがあるのですが・・・・」「なんでしょうか」「このあたりで、こどもたちにふかしたおイモを配るような女性を知りませんか」えっと思ったが、知り合いを訪ねてここまで来たが名前を知らない人なので、こう聞いてきたのかと思い、首をかしげて、そういう方の心当たりがないことを答えた。
 そのお年寄りは申し訳ないが知らないというわたしに、そうですよねと言いながら、どこに行くあてもないようだ。話しがだんだん違う方向に行き、わたしはどう答えていいかわからなくなってきた。
 そこへ、近所の人(この方も高齢者)が通りかかり、助け船を出してくれた。その人と話しているうちにそのお年寄りは帰りかけた。だがT字路のところまで行き、どちらに行っていいかわからいのか、戻ってきた。
 もしかしたら徘徊してここまで来たのかとわかってきた。あとでわかったことだが、助け船を出してくれた方はご自分の母親が徘徊して帰れなくなり、警察のお世話になったことがあるそうだ。
 その方の助けでパトカーを呼び、お年寄りは無事家に送り届けられることになったが、レオのことを気にしながら、その方と話しているときどうしたらいいのだろうと途方にくれた。 
 話ではすぐ近くに住んでいることになっていたが、警察官が確かめたところ、だいぶ遠いところだった。よかった。心細かっただろう。暗くなり、寒くなってきた時間に、どこにいるのかわからなくなったのだ。ご家族も心配しているだろう。帰れてよかった。
 途中、うづくまって動かないレオを抱き上げ、徘徊の女性と話していたが、重くなったので家にレオを連れて行き、戻った。レオのことも気になるが、その方をひとりに置き去りにすることはできなかった。

午前中、近くの用水路沿いの桜並木まで
レオを抱いて行った

レオとわたしの頭上では桜が咲き誇る