さよなら。渋谷駅

 
この改札口、何回通っただろう
 

 今月の27日で16歳になる愛犬レオだが、昨夜は11時ころ眠りにつき、早朝4時前に一度起きた。庭に面したそそうをしてもいい部屋にレオを入れて、わたしは自分の部屋でTVを見ながら、泣き声が聞こえたりすると様子を見に行った。
 薄めた牛乳を飲ませたりして、落ち着くのを待ったがなかなか落ち着かず、次にレオが眠ったのは6時過ぎ。トイレシートにおしっこをした後、お腹がすいているかも、と思い、ドッグフードを手のひらに乗せてあげたら、美味しそうに食べ、とたん眠くなったみたいなのだ。
 レオが起きている間見ていたTVで、今日で現在の東急線渋谷駅がなくなるということを知り、眠気がすっかり覚めた。明日から東急東横線東京メトロ副都心線が相互乗り入れをし、駅が地下に移されるという。
 現在の東急の前身である東京横浜電鉄が渋谷、横浜間の列車を開通させたのが昭和2年(1927年)。それから85年の駅の歴史が閉じられるのだ。幼い頃から現在に至るまで、渋谷駅と切っても切れない縁(?)があったような気がした。
 小さい頃、母とこの駅に直結した東横デパート(以前はこう呼んでいた)によく来たし、この駅を始発とする銀座線に乗って浅草や銀座に連れて行ってもらった記憶もある。
 10数年ほどの間、渋谷駅から3つか4つ目の駅を最寄り駅とする所に住んでいたこともある。そのときは渋谷を頻繁に訪れたし、実家に帰るときは東急渋谷駅を利用した。
  80歳代半ば頃まで母につきそって、東急デパートのレストランで食事をしたり、この駅からJRや地下鉄に乗り換え、巣鴨や浅草に遊びに行ったこともあった。母に一人ではでかけられなくなっていて、誰かつきそう人が必要だったのだ。
 渋谷駅が出来た85年前は、ちょうど母が12歳のときにあたる。まだ小学生だった母もこの駅まで両親と来たことがあったのだろうか。母たち家族は今の実家がある所に、小学生低学年のときに引っ越してきたようだ。
 渋谷駅に直結したデパートは店がオープンして75年になるという。店が出来たのは母が19歳の時だ。若かりし頃、この街によく遊びに来たのだろうか。今になっては話しを聞くこともできない。
 今日、渋谷駅の最後の姿を見に行こう。

 老犬レオが起きたのは午後1時過ぎ。起きたというより起こした。でかけるのがあまり遅くならないように。薄めた牛乳を飲み、今日最初の食事を食べ、また水を飲みむのに1時間くらいかかった。レオがいる部屋は日差しが強いのでカーテンを半分ひき、玄関に通じるドアを開けて、暑くなったらこちらに来るようにした。
 東急東横線に乗り、到着した渋谷駅はおおぜいの人でごった返してた。カメラや携帯やスマートフォンなどをかざして駅構内や、着いたばかりの電車を撮影する人たちでいっぱい。駅員が立ち止まらないでくださいと声を張り上げるがあまり効果がない。わたしも立ち止まって写真を撮った。
 某テレビ局のスタッフは高い所に上って撮影している。あまり大勢の人がいるので、感傷にひたるひまもない。当り前のようにこの駅はあり続け、このままずっとあり続けるとどこかで思っていたのに、なくなるときはなくなる。
 また新しい歴史が始まるともいえるが、だんだんと年をとってくると新しく始まる歴史より、積み重ねた歴史の方が大切になる。
 だがもうお別れ。半世紀以上に渡ってこの駅と親しんだが、これからは前のようにはこの街に来ないかもしれない。それはこれからのことなのでわからないが。
 東急デパートでいくつか買い物をし、電車に乗って帰途についた。
 家に帰るとレオは玄関の土間にいた。私の長靴を倒し、その上に横になっていた。わたしを探してここに降りたのだろうか。おしっこをしたくて、降りたのだろうか。日中暑かったので水を飲ませて、外に出すとすぐおしっこをしたので、我慢していたのかもしれない。

この電車に乗ってきた


ホームの電車を撮影する人たち


こういう表示もなくなるのだろうか