春の花を持って

 今日は母の月命日なので、昨日買っておいた花を持って、午前中お墓参りに行った。老犬レオが眠っている間に。黄色に赤い模様が入ったチューリップと、薄いピンク色のスイートピー、庭から切ってきた雪柳、剪定したスモモのつぼみがついた枝を束にした。
 お寺に行く途中、梅や早咲きの桜が咲き競う庭があり、しばし足をとめて眺めた。見事な白梅の古木はいつも手入れが行き届いていたが、手入れをしていた植木屋さんでもある主が亡くなり、枝が伸びてかえってその伸びた枝に咲く花がはなやかに見えた。
 墓地には春の花が供えられたお墓が目立つ。陽気がよくなり、足を運ぶ人が増えたためか。
 昨夜半、レオが起きたのでつきあって起きていたとき、TVで観た「ラストディナー」という映画の予告が頭をよぎった。もし亡き母と一日だけ食事を共にすることができるとしたら、どのように過ごすだろうかと考えた。
 母の好物をテーブルに並べた家での夕食。会話は母がいなくなった後のことをやはり話すだろう。八百屋さんのおじさん、いなくなったよ。お店ももうやっていないよ。おばさんもいなくなった。レオはすごく年とったでしょう。あの頃は元気だったから、同じレオとは思えないでしょう。
 母はにこにこと聞いているだろう。仕方ないねえ。誰でも歳はとるよ。レオだってそうだよ。
 食事が終わった後、母が眠っていた部屋に布団を敷いて、部屋まで一緒に行くだろう。そして勇気がいることだが、お休みなさいと言って、抱き締める。
 実際の母との家での別れは、入院する前夜、TVを見ている母に「早く寝ないとだめだよ」と言い、「もう寝るよ」と返事をした母に「おやすみなさい」と言って、自分の部屋に戻った。翌早朝、容態が急変して入院したのだ。
 そのまま帰らぬ人となった母だが、わたしは明日もこの家に母はいていつものように目を覚まし、何時ものようにわたしが作った食事をとり・・・・と思っていた。
 だから、亡き母と一日だけ会えたら、別れるときはもう明日はないのだから、抱き締めるしかないような気がした。
 しようがないことを考えた墓参りだった。

 同じように老犬を介護している方からブログを見て、コメントいただき、レオの症状をもう一度、見直してみようと思った。その方の愛犬も歯ぎしりをするようだが、獣医師には加齢によるものだから仕方ないと言われたそうだ。歯ぎしりをしているとき、顔を上にあげるようにするとおさまることがあるとアドバイスをいただいたので、試してみたい。
 また、後ろ足でたち、前足でかりかり壁などを引っ掻くのは前に行きたいが邪魔をしているものに対して行う動作で、てんかんの発作ではないのではないか、とも。さらに同様の動作を、便秘でうんちが出にくい時や、膀胱炎などでおしっこが出にくい時にすることもあるといわれ、レオももしかしたら、こういうことでしているのかもしれないと思った。
 というのは後ろ足立ち、前足カリカリをしているとき、外に出すとおしっこやうんちをすることがよくある。この動作をしているとき無視すると、よくそそうするからだ。
 おしっこが出にくいのだろうか。という新たな問題が浮上してきた。
 コメントをくださった方へ。老犬が抱える問題についていろいろ有意義なご指摘、アドバイスをいただき、ありがとうございます。


球根の花が咲く前の花壇は、青い小花が愛らしいワスレナグサが主役
ヒヤシンスやスイセン、チューリップが咲き始めると
ワスレナグサは脇役になる


コンテナに植えたヒヤシンスが咲き始める


モモの花のつぼみ
先端が色づいてる