スモモの木

 とらぬ狸の皮算用ではないが、庭に植えたスモモの木を見て、内心うきうきしている。昨年より花芽が格段についている。花は白いがつぼみはきれいな薄緑色で、そのつぶつぶが無数に伸びた枝に散りばめられている。
 人っておかしな動物だなと思う。鳥達は庭に偵察に来て、おっ!今年はつぼみが多いから、甘い実がたくさんなるぞ、たらふく食べてやろう、などど思わないだろう。人はそう思う動物なのだ。たらふくは食べないが、たくさん実ができたらいいなあ、と。
 老犬レオを駐車場で歩かせるとき、スモモの木は自然と目に入り(いや、見るから目に入るのだ)、花が咲いたときの光景を思い浮かべ、それだけでうれしくなる。ただ、実がなるまでに雨風にたたかれることもあり、花がすべて実になるとは限らないのだが、自分に都合がいいように考える性向は直らない。思った通りに行かないこともあると気持ちを引き締めるようにはしている。
 思えば、この木は(前にもブログで書いたと思うが)父がひざ丈くらいの苗木を植えてから6〜7年くらいたって、はじめてスモモの木だと気づいた。父は知っていただろうが、この木が成長し始めた頃はもう庭の手入れができなくなり、わたしにスモモの木を植えたと話したこともなかったので、ある春、熟れた赤い実がなっているのを葉の影に見つけるまで知らなかった。
 それは今から3〜4年前で、父はほとんど家の中で過ごしていた時期だ。赤い実を見て、ひとつだけ食べてみた。おいしかったがこの木を手入れしてもっと実をつけるようにしようとは思わず、そのまま何もしなかった。
 が、父が亡くなったその春、信じられないほどの花を咲かせ、たくさんの実をつけた。前年はそれほどではなかった。大飛躍である。それが2011年、東日本大震災があった年だ。
 そのときはあまりに実がなったので、近所の人にも配ったが、それでも間に合わず、ジャムにすることも思いつかず、無駄にした実もかなりあった。収穫しないと、ヒヨドリを中心に、メジロなどがやってきてさかんについばんでいた。
 その年はなぜか桃の木も大豊作で、桃の実の重みで枝がしなり、回りの木に覆いかぶさっていた。こちらもヒヨドリが食べたが食べきれず、落果した実を掃き集め、破棄したことを憶えている。
 とつぜん、たくさんの実をつけたスモモとモモの木は、枝を伸ばし放題に伸ばしていて、実がなくなった後、剪定の大ナタをふるった。かなり太めの枝もノコギリで切った。このこともあり、翌年は実があまりならなかった。そして今年を迎えたわけだ。

スモモのつぼみ

一輪だけ咲いた赤い椿
バラのような花形


老犬レオはとても珍しく0時ころ眠りにつき、朝6時まで起きなかった。歯ぎしりをおこして起き、しばらくして落ち着きまた眠り、次は7時半ごろ起きた。わたしもレオと同じように眠った。数ヶ月ぶりか半年ぶりか1年ぶりかは忘れたが、6時間続けて眠ったのは久しぶり。起きた時時計を見るが、今朝は6時をさしていて、こんなに眠ったのかと驚いたほど。
 朝7時半に起きてすぐ玄関の土間でおしっこをしたレオは、食後、外に出したときもおしっこをした。ただ、午後は一度もせず、夜になってもしていない。おしっこの回数、量が少ないのが心配。

 あたたかい日が続いたため、クレマチスの芽がもう大きくなってきた。枯れたつるを取り除き、支柱を補修したり、つるを誘引した。地植えにしたクレイマチス’雪おこし’は昨年強風のため、つるが5本全部裂けてしまい、セロテープで補修した。よく観るとセロテープはそのまま残っている、今日はつるを誘引するときに力を入れ過ぎたのか、つるを傷つけてしまい、またセロテープで補修した。傷だらけのクレマチスだが、新芽がたくさん出ていて、花つきも昨年より良さそうだ。

 東日本大震災から2年。あの日の激しい揺れは身体にしみついている。だが地震への備えにはそれほど力を入れなくなった。平常時に慣れてきたのだろうか。
 レオと今日の日を無事に過ごせたことを感謝したい。この気持ちを忘れず、一日一日を大切に過ごしたい。