今日は柴犬レオの9回目の月命日

 すっかり春らしい陽気になり、庭の花たちは安心して花を咲かせているようだ。春の光をあびて、花は笑っているように見える。だが早くも梅の花びらはちらほら舞い始めている。静心のない春。落ち着きのない春。
 今日はレオの月命日なので、久しぶりにレオのための花を買いに行った。最近は父母のお墓参りの花を数本レオに分けたりして、仏壇に供えていた。春のお彼岸が近いので、花のお値段がいつもより少し高めになっていたが、花の本数が多いラッパスイセンの束売りを買った。
 家に帰り、さっそくレオの仏壇に手向けた。コテマリやピンクのスイートピー、濃いピンク色のストックに、鮮やかな黄色のスイセンが映える。
 9か月たってもレオがいないことに慣れるはずもない。レオを思い出さな日はないというより、思い出さない時間はないといったほうがいい。
 昨夜はレオが出てくる変な夢を見た。なぜ見たのか理由がわかるような気がする。こういう夢だ。とつぜん天井の一部がはがれて下に落ちる。するとはがれてぽっかり空いたところにレオが横たわっている。そのレオが下に落ちる。わたしは天井のように高い所から落ちて大丈夫かと夢の中でドキッとするが、床に落ちたレオは何事もなかったように、わたしのほうに歩いてくる。ここで夢が終わった。たぶん、携帯で撮ったレオの動画の天地を変えるために、昨日あれこれ操作したので、そのことがこの夢につながったように思う。
 朝目が覚めたとき、なぜかレオがいちばん近くにいるような気になる。昼間、活動的な時間を過ごしているときには忘れているようなレオがふとわたしの中によみがえる。そのレオの思い出は、胸にグサッとくるようなものが多く、最近寝起きに泣くことがある。

昨日は曇りだったが、庭仕事をした。駐車場の後ろ、スモモの木のすぐ後ろに植えた柚子の木がぼさぼさ状態だったので思い切って枝を切り、込み合うところは枝を間引いた。スモモの木も花芽がついていない徒長枝を高枝ハサミで何本も切った。今日はその続きで、柚子の木をさらに短く切った。これ以上高くならないようにノコギリで太い幹を切った。剪定枝は70リットル入りのゴミ袋にいっぱいになった。



古木の梅がこの春も満開になった
昨年はたくさんの梅の実がなったが今年はどうだろう
夕暮れ、柴犬レオを外に出すとき、この梅の香りが強く薫ったのを憶えている


ソメイヨシノと並んで植えられているオカメ桜の花
一昨年の春に植えて今年で2年目
わたしの背の高さくらい
レオはこの花が咲く春を2回迎えたが今年はいない



レオの仏壇にお花を供えた
これからは庭の花をたくさん活けてあげよう