失われた時を求めて

 御大層なタイトルだが、ささやかなタイムトリップを楽しんだ。
 母が残したアルバムに何枚か、大判の写真があり、きれいな着物を着て、すました顔や笑顔で写っているものがある。この写真をときどき見ているうちに、写真から絵を描きたくなった。
 一枚、(多分、温室内だと思うが)バナナの木のそばで撮った写真があり、鉛筆で下描きしたが気に入らず、そのままになっていた。今日は別の写真を試みた。写真館で撮影したと思われる写真で、長い丈の羽織を着ている。横にアンティーク風の椅子が置いてあり、母は背もたせに手をそえている。もう一方の手は帯どめ辺りをさわっている。
 モノクロなので色はわからない。着物や帯の色を想像しながら描くのは楽しかった。母が好きな色、紫色を想像したがそうなのかどうかはわからない。着物は縦縞のように見える、母は縦縞模様の着物が好きだったのか、こういう着物を着た写真が何枚かある(昭和初期に流行った柄なのかもしれない)。
 色をつける前に、着物や帯、羽織、帯どめなどの色を決めるために、別の画用紙に着物の絵だけをざっと描いて、試しに着色してみた。縞の色は、青色(ブルー+ウルトラマリン)と紫(マゼンタ+ウルトラマリン)を塗った。紫色は落ち着いた感じで、まだ若かったので違うかなと思った。もっとくっきりと濃い紫かもしれないが、色が出せなかった。
 着物の地の色、帯の色、帯どめ、羽織・・・・色を決めるのは難しかった。ただ、羽織だけは藤色ではないかと思ったが、きれいな思い通りの藤色が出せなかった。
 というわけで出来あがった絵がこれです。

こんなふうに色合わせをした

 きれいな、自分の好みの着物や洋服を着て楽しめる時間は、母の場合、そんなに長くなかったのではないか。戦争が激しくなるにつれ、もんぺ姿の写真が多くなる。
 昔は結婚すれば、娘時代のような派手な着物は着ないし、華やかに装うことを楽しんだ頃の母に、せつない気持ちも交えて思いを馳せるのだった。


寒いのでフリースを着て、眠るレオ

 今日は風が冷たく、冬が戻ってきたような日だった。ひさしぶりに老犬レオに手作りのフリースを着せて、家の前の道路を歩かせた。わたしの脚の回りからなかなか離れなかった時よりは、少しだけ歩くようになった。ブロック塀に寄りかかりつつも、ときどき離れて自分の足で歩こうとする。ただ、くるくる回ることはあいかわらず。
 食欲は少し落ちたので、食べるものに気を使う。朝は、ゆでたペンネにバターをからませたものと、鶏肉、ゆがいた野菜、ビーフシチューの缶詰(犬用)。野菜は食べない。ペンネはおいしそうに食べた。ビーフシチューも食べた、鶏肉は8割食べた。レオの食欲に一喜一憂する日々だ。
 わたしのめまいはふとしたときに起こってびっくりする。いま、パソコンに向かっているとき、ふらっときた。今日はいままで大丈夫だったのに。

駐車場後ろに植えた白梅が数輪咲いた