夕方からの短い散歩

 晴れ渡る空が気持ちいい。ほぼ一日エアコンも炬燵もなしで過ごせた。

 郵便がらみのアクシデントがあり、熊本から送ってきた季刊の短歌誌「しらぬ火」もトラブル含みだった。

 友だちに昨日送ったラインの返事が来ない。これも気になる。

 とはいっても気持ちを重くするほどのことではない。

 郵便がらみのアクシデントとは、昨日武蔵小杉の歌会のみなさんに送った封書のうち、一通が戻ってきたことだ。封筒を見ると切手が貼っていないではないか!歌会に送る封筒は各自宛名を自分で書き、切手も貼っておくがルールである。送り手の負担を軽くするためだ。この人は切手を貼るのを忘れ、さらにわたしも切手が貼っていないことに気づかなかった。機械的に封筒に資料を入れ、機械的に封を閉じ、機械的に投函したみたいな感じで、封筒そのものに目をやらなかったようだ。

 今日送られてきた季刊の短歌誌は、年会費を振り込むように依頼する紙が同封されていて、わたしは愕然とした。昨年12月に今年の年会費を支払った記憶があるからだ。振込用紙を使い、ゆうちょ銀行で現金で支払ったためか、通帳に記載がない。領収書があるはずと探すがなくて、近くの郵便局に行って聞くとどのような形態の領収書であるかがわかった。再度家で探すと見つかった。

 これをもとに熊本に電話をすると、あっけらかんとあれは全員に同封したとのこと。わたしが支払っているのは承知しているので大丈夫とのことだ。やれやれ、それなら支払い済のひとには断り書きを一言そえればいいではないか。

 こちらがあたふたした分、先方への不満が残った。

 友だちからラインの返事はとうとう来ない。

 こんな日もときにあると思うようにしよう。

 季刊の短歌誌はどこかのタイミングでやめることがあるだろうと考えていた。次に参加する場が見つかったタイミングかもしれない。

 妙に落ち着かない一日だったが、季刊の短歌誌に送る短歌10首を考えた。今回はどのように構成するか。奈良の旅を詠うか、それとも思い切った表現を試みるか、余裕があれば2案作ってもいいのだが、、、

 夕方になり、近所の店に買い物に行き、その帰り短い散歩をした。夕空がきれいな時刻だ、まだ月は出ない。

 有名な私立女学校のほうに歩みを進めると、桜がきれいだった。ソメイヨシノではなく、山桜や八重桜だ。ツツジや藤の花も咲いている。学園の庭は花がたくさん咲いていて季節の移ろいと共に目を楽しませてくれる。

 






 

歌会の資料と献詠歌、どちらも投函した

 新緑のきれいな季節がめぐってきた。花も種類を変えて咲いている。わが家の庭ではツツジが咲き始めた。姫りんごはまだ満開である。桜や柿の木の芽吹きがきれいだ。

 靖国神社に送る献詠歌の締め切りは4月20日だったが、15日と勘違いしていた。勘違いのままに昨日速達で送るつもりだったのがその前に募集要項を読んで送らずにすんだ。

 たった一日しかたっていないが、なにかがあったかのように短歌に対する視線が少し変わった。自分が作った短歌により鋭い視点を持つようになったというか、こんなのではつまらないと思う気持ちが強まった。

 武蔵小杉の歌会に送る3首の短歌に手を入れた。すうーと短歌が流れ過ぎていて、読む人の気持ちに刺さったり、沁みたり、ふっとおかしみを感じたりがないと思ったからだ。手直しして、沁みる短歌、おかしみのある短歌ができたかはわからないが少しだけアップグレードしたと思う。

 靖国神社のほうはかなりいじくりまわして、結局、最初に詠んだ短歌に落ち着いた。これも自分ですごくいいと思うわけではないが、比べてみれはいいという感じだ。

 午後になり、武蔵小杉の資料は6つの封筒で6人へ、靖国神社へは速達でなく普通郵便で、投函した。

 やり終えたためか、目の疲れを特に感じて、蒸しタオルを目にあてた。広縁に座布団を2枚敷いて、ごろんと横になり、目を瞑ったり、ときどき開けて樟や紫陽花、柿の木などの新緑に目をやった。緑色は目の疲れにいいとどこかで聞いたからだ。

 

柿の木だけを撮ろうとすると縦長の構図になる

ぎぼうしの若葉

赤いツツジが今年は咲いている

オオムラサキツツジも咲き進む

こんな色のツツジもあり、父が挿し木を増やしたもの

楓の新緑

 

締切を勘違い、15日が20日へ

 おだやかな晴天の日曜日。いまのところのんびりと過ごしている。明日15日必着とお思っていたある神社の献詠歌だが、昨日、募集要項を見直したら20日であることがわかった。

 今日、速達で送ろうと準備していたがまだよゆうがあることがわかったので、さらに考えることにした。

 朝のテレビ番組で、鹿児島県の南端にある都井岬岬馬を管理している若い女性の姿を追っていた。この岬には50年ほど前訪れたことがある。大分のほうから南下する列車に乗り、早朝の車窓から宮崎県の海岸をぼんやりと眺めたことを覚えている。まだ若かったので、午前中早い時間に着く列車に乗ったのだろう。

 都井岬の野生馬に会いたくて訪れたのだが、馬の記憶はあまりなくて、日差しが強くて日焼けを心配したことはおぼえている。

 あれからずっと岬馬は命をつないで都井岬に生きていたのだと思うと感無量である。同じようにわたしも生きて来たのだが。

 昨夜は寝付いた後、目が覚めて手のひらがかゆくてたまらくなった。赤く腫れているようだ。起きて手につける軟膏を塗った。ステロイド入りのものだ。そんなに赤みや痒みがひどくないときはなるべく塗らないようにしているが、昨夜は塗るべきと思った。朝起きてからは相変わらず赤いがかゆみはおさまっている。

 今日は月二回の武蔵小杉の歌会の資料(参加者の短歌をワードでまとめたもの)の誤字脱字をチェックして印刷し、できれはコピーをとってみなさんに発送したい。

 パドレスドジャースの試合は雨で開始が遅れていて、日本時間で午後0時25分でに試合開始予定のようだ。試合が行われないときに、大谷選手や松井選手、イチロー選手の過去の映像をオンエアしている。どのような熱狂も一瞬のものでいつか過去になるみたいな、深い思いがわいてくる。2019年、イチロー選手は引退した。わたしは大谷選手が引退するまで見ていられるだろうか。

 

今日の花壇、チューリップは花の盛りを過ぎているが陽ざしをあびてきれい

矢車草が咲き始めた

姫りんごの花は満開

オオムラサキの花も咲き始めた

コデマリの花

 

友だちと最寄り駅までランチ

 朝方は曇り空で雨が降りそうな雰囲気。ぽつりぽつりはあったが、よもや降らないだろうと思ったのにお昼前から降り出した。

 午前中、友だちからラインがあり、急なランチのお誘いがあった。わたしは実はやや疲れを感じていたし、15日必着の短歌があり、あせりもあったのだが気分転換したい気分もあり、誘いに乗った。

 ぽつりぽつりの雨が本格的に降りだしたころ、傘をさして最寄り駅前まで歩いた。駅前のカジュアルレストランで会うことになった。

 友だちは先に来て席を取ってくれていた。といっても店は空いていた。窓辺の大きなテーブル席の角にふたりで座った。11時半でランチには少し早めだったので、しばらくおしゃべり。水原一平の事件のことを話した。友だちは水原氏がすごいストレスを抱えていたのではないかと、という。そのことがギャンブルの深みにはまる結果になったと。超リッチな人が身近にいると、しかも飛びぬけた才能がある人がそばにいると、その人がどれほど人間的に優れた人でも、そばにいる人はなんらかの強い圧迫を感じるのかもしれない。遁れたくても遁れらない辛さを抱えていたのか。

 ランチプレート(ハンバーグとサラダ、バゲット)を注文した。広い窓から駅前の風景を眺めながら。雨脚は衰えない。まだ花が残っている桜の木が見える。

 友だちは午後から自宅に生徒さんが来てピアノを教えるので、そんなにはゆっくりできない。それでもコーヒーを飲んで、いろいろ話した。わたしが昨日、国会図書館に行って読んだ歌集のことも話した。デジタルで本を読むと字の大きさを変えられるのでいいという事も話した。

 店を出る時間になるころ、雨が止んで陽ざしが出ていた。さきほどの雨はいったいなんだったのだろう。

 友だちからビアリーというアルコール度数1パーセントの飲料をもらった。8缶ほどあるので重たいがありがたくいただいた。

国会図書館に行く

 雲が多いが陽射しがそそぐ、あたたかい1日。

 今日は国会図書館に行こうと決めて、準備してでかけた。予想外のことは赤  い金魚のイヤリングを二話で落としたこと。出かける格好で、めだかに餌をやったり、植え木鉢に水をやったりしているときに落とした。気がついて捜したら見つかったが悲しいことにわたしが踏んだのだろう。金魚の赤い尾びれが砕けていた。

   イヤリングをせずに図書館に行った。

 今日は読む本が決まっていた。歌人阿木津英さんの歌集『天の鴉片』を読むために国会図書館に行ったのである。

 歌集はデジタル化していたが、紙の本より読みやすかった。文字の大きさを調整できるのが大きい。176ページの本をデジタルで読み切った。これとは別の紙の本も閲覧した。『天の鴉片』以外の歌集もどんなものがあるのか、さわりだけでも読みたかったので、現代短歌文庫を借りた。阿木津さんがいちばん最初に出した歌集の収録されている。

 フェミニズムの姿勢を短歌で打ち出した、歌人であるようだ。男性と女性が詠む短歌の違いはときどき感じることはあるが、それをことさらに考えることはない。短歌は個人差でいいのではないかと思うが、そんなに単純な問題ではないかもしれない。

 きゅはかなり集中して歌集を読むことができた。午後4時過ぎまで図書館にいた。

 電車で二子玉川に出て、ファストファッションのH&Mで、いくつか試着した。買ってもいいなというワンピースがあったが、ボタンがどうしても嵌められなくてあきらめた。ボタンがはめられなければ外出できないのでしかたない。

 ボタンをはめようと躍起になっているときに、試着の順番を待っている人がたくさんいたので、申し訳なかったと思った。

銀杏並木が芽吹き始めた、国会図書館前の道

国会図書館の桜





晴天はひろがるが気温は低め

 昨日の風と雨が嘘のようなおだやかな晴天がひろがる。

 昨日の歌会の疲れがそれほどでなければ国会図書館に行くつもりだったが、目の疲れを感じたのは行かないことにした。

  ただ、国会図書館に問い合わせて、わたしが読みたい歌集の蔵書があるか、閲覧できるかを問い合わせた。阿木津英さんの歌集『天の鴉片』(てんのあへん)である。歌集はあるがデジタルで閲覧できるとのことだ。実際に手に取って読める本もあるようだが、歌集の全体が収録されているかはわからない。図書館に行って、見てみるしかない。

 昨日の武蔵小杉の歌会でみなさんから預かった短歌をワードに入力して、歌会のための資料を作った。ひとり、歌会を休んで次の歌会の短歌を提出していない人がいるので電話をしたが、まだできでいないので夜電話をするとのことだ。

 その一人分と自分の短歌のところだけ空けて、入力が終わった。

 さらに、4月15日必着の題詠1首をいろいろ考えた。題は「時」である。いくつか候補はあるが、これだというのがない。

 季刊の短歌誌「しらぬ火」に送る短歌は10首で4月末必着である。ただ、掲載紙はいつもだと4月の初めに送られてくるが、今回は印刷所が変わったので雑誌の仕上がりが遅れて4月の中旬にこちらに届くようだ。いつも「しらぬ火」が届けられてから、次の号に載せる短歌を考え始めるが、今回は届いていなくても考え始めたほうがよさそうだ。

 「しらぬ火」の編集長に電話をして、いつ頃届くかを確認した。12日の午後に発送するとのことで、熊本県八代市からなので東京に届くのは16日か17日になるだろう。

 印刷所を変えたのは、いままで頼んでいた所に印刷費の値上げを打診され、それが2倍近く高くなるので、別の印刷所を探したのとことだ。2倍の制作費を要求されるとは、うちではもうできませんと言われたようなものなので、別を探して正解だった。

 家にいてもいろいろあった一日だった。

雨風強い時間に武蔵小杉の歌会に行く

 午後から武蔵小杉駅前のビルで短歌の歌会があるので、昼過ぎ家を出た。出たとき、おさまっていた雨がすぐ強くなり風も強い。

 多摩川の土手の上のバス停で傘の横から降りつける雨にぐっしょり濡れた頃、やってきたバスに乗り最寄り駅へ。武蔵小杉駅前のタワーマンション2階にある会場(小さな会議室)に行くと、3人の仲間が先に来ていた。今日は天候が悪く、来れない人が一名、天候に関係なく来れない、または来る気のない人が2名、休会するのでわたしを入れて4名の歌会である。

 今回は司会をわたしが務める。みなさんに送ったプリントには全員(といっても6名)の短歌と名前が印刷してある。

 これらの短歌を一つ一つ、参加している4名で鑑賞し、意見を言い合った。

 いつもよりさらに話が脱線、発展して関係ないおしゃべりの時間が多くなった。わたしは司会なので、みなさんの話を聞きながら切りがいいところで短歌へと話を戻した。もちろん、わたしも脱線、発展した話に加わるが、司会としての役割は忘れない。

 歌会の半ばころから、雨が止んだようだ。トイレに行って帰る途中、外を眺めると傘をさしている人はなく、風が強いのが見てとれる。

 歌会を終え、みなさんとビルの外に出ると風が冷たかった。天気予報で低気圧が去ると急に寒くなると言ったがその通りになった。

 駅近くのスーパーマーケットの前でみんなと別れ、わたしも入れた女性たちは買い物をし、男性ひとりは改札に向かった。

 買い物をして、電車に乗って最寄り駅で降りた。駅前のケンタッキー・フライド・チキン2階のカフェに、昨日と同じように入った。今日が誕生日の友だちが2名いて、一名には午前中に誕生日のお祝いメールを送った。もう一名にはカフェでお祝いのラインを送ろうと思ったのである。

 ところが送ろうとラインに入力しようとしたそのときに、その友だちからラインが届いた。誕生日のカードを送るつもりだったが、まず相手のラインに返信し、続けて文章でお祝いの気持ちを伝えた。自然な流れでお祝いの気持ちを伝えたほうがいいと思ったからだ。

 今日が誕生日の友だち2名は1名が40年来くらいのおつきあい、もう一人は7年くらいのおつきあいである。

 1時間あまり2階にいてから、家路についた。