ホームセンターで花苗と培養土を買ってきた

 少し前にホームセンターに行き、5月に蒔く予定の花の種子を買ってきた。だが種子を蒔く土がないことに気づき、今日の午前中、同じホームセンターに車で行った。

 以前はもう少し近くに小さめのホームセンターがあり、ちょっとした買い物によく行っていたがそこが閉店し、スーパーマーケットに業態を変えたので不便になった。

 連休中の道路はそれほど混んでいなく、環状八号線を行きも帰りもすいすい運転した。いつもより1~2割増しのスピードで。

 ホームセンターは混むと予想される午後をさけて開店後すぐの時間に行ったが、それでも混んでいた。連休と言ってもわたしと同じように家にいる人がけっこう多いようだ。

 これから夏から秋への花壇に少しづつ植え替えていくが、わたしがほしい花はあまりなかった。買う時季が遅れたのかもしれない。この花はこの時季に店に並ぶとだいたい決まっている。その時季を逃すと手に入りにくい。他の花屋さんにはあるかもしれないので、見てみよう。

 それでも売れ残ったいくつかの花苗を買った。ひとつしか残っていない花もあった。この時季、よく植えるロベリアという花だ。あまり元気がないのが一つ残っていた。梅雨の時期に弱いのでもっと早く店に並んでいたのだろう。

 培養土は軽めにできているものを選んだ。ベランダなどで使うといいと書いてある。軽めと言っても持ち上げれば重たい。

 家に帰るとお昼近く。昼食を食べた後、疲れを感じだ。昨日出かけたので、その疲れもあるだろうか。

 新緑の庭を眺められる広縁に枕を持ってきて横になった。掃き出し窓を少し開けたままだ。いつのまにか眠った、目を覚ますと新緑が陽を受けて透き通るようだ。日のあたらない葉は色がくすんで見えて、その対比も美しい。しばらく起きていたがまた眠くなった。うとうとしたが眠らなかった。横になったままいろいろなことを考えた。

 

今日かった花とこの前買った花

花がひらきはじめた芍薬

オールドローズも開きはじめた




国立近代美術館に「鏑木清方展」を見に行く

 暑くもなく寒くもない、気持ちのいい五月晴れの一日。

 昨日予約した「鏑木清方展」に行った。

 東京メトロ東西線竹橋駅で下車して歩いて数分ほど。お堀にかけられた橋を渡り、すぐのところだ。

 1時半の予約だがすでに多くの人が入場を待っていた。展示会場はコロナ禍後に行った展示会のなかではいちばん混みあっている。コロナウィルスにより行われていた行動制限がようやくゆるんできた。手指の消毒、体温測定があり、マスクはもちろん着用する。

 いくつかのテーマにわかれ展示されている。例えば第1章は「生活を描く」。第二章は「東京」、第三章は「物語を描く」・・・・・・・・。

 第1章では清方が24歳の時描いた「雛市」が印象深かった。雛人形を飾った店先に、裕福な令嬢と桃の枝の束ねたものを持った裸足の娘が描かれている。明治の東京ではこのような情景がよく見られたのだろうか。

 同じく第1章の「明治風俗十二か月」もよかった。6月の金魚屋の絵にはツバメが飛んでいる。「讃春」は第1章のなかの「特集1東京」というテーマに入っている絵で、関東大震災のあとにかけられた橋を背景に船で暮らす庶民を描いた絵と、お堀の石積みを背景にした女学生二人の絵で構成されている。船の暮らしに桜の枝を飾り、サイネリアの鉢植えがあるのが印象的だった。

 細かく書くと際限がないので、第二章の「物語をえがく」では、樋口一葉の小説「たけくらべ」のヒロイン、美登利を描いた「たけくらべの美登利」に心惹かれた。実は鏑木清方の絵を見に行きたいと思った理由のひとつに、樋口一葉が生きた時代である明治の生活の息づかいや情趣を感じとりたいという気持ちがあった。淡い恋の相手から贈られた水仙の造花を手にしている、島田に結った美登利が描かれている。

 わたしの母方の祖母は明治時代に東京の下町で生まれたので、鏑木清方の絵に若い祖母が生きた時代の東京を感じてみたかった。絵の中の東京に若い祖母を置いて見たかったのかもしれない。

 この展示会は前期と後期があったが、前期も見たかったと思った。

 帰りは国立近代美術館を出て、お堀に沿って九段下まで歩いた。東京メトロ半蔵門線と東急・田園都市線に乗り、二子玉川に行き、そこからいつものようにバスで帰った。

 

若き日の鏑木清方雛市の貧しき娘、富む娘描きき

 

水仙の造花持ちたる「たけくらべ」の美登利描きし鏑木清方

 

細やかに明治の暮らし絵に描きし鏑木清方回顧展見る

 

花の盛り過ぎしツツジを眺めつつ五月連休いつものバス乗る 

 

 

乙女椿の剪定の続き、夕方近く二子玉へ

 きれいな青空がひろがる。五月の連休と言ってもいつもと全く変わらない生活だが、天気がいいとなんかうれしい。

 火曜日は燃えるゴミ出しの日なので、庭道や駐車場に散らばる落ち葉や花びらを掃除した。ついでに草むしりもした。

 朝食後、陽ざしがまだ強くない時間に庭に出て、この庭でいちばん樹高が高い乙女椿の剪定の続きをした。二階のベランダから木の上の方を剪定した。若葉を開いた新しい枝を容赦なく切った。若葉をそのままにしておくと木が茂り過ぎて、毛虫が発生しやすくなるし、台風などの強い風にも弱くなる。

 ベランダの手すりから身を乗り出すようにして、伸び縮みする高枝鋏で乙女椿の天辺の枝を切った。こうして頭の部分の枝を切って軽くすると、樹にも負担が少ないのではないだろうか。

 下に降りて、切った枝を集めゴミ袋に入れた。

 家に入り、パソコンで行きたい美術館の予約チケットを購入した。連休中、一日くらいは美術館に行きたい。千葉健佐倉市にある美術館に行きたいのだが(東京駅から直行のバス便があるが)、連休中は道路が混みそうなのでやめて、都内の美術館にした。

 昼食後、NHKBSプレミアムで映画「アンネの日記」を見た。白黒の映画だ。全部は見れなかった。狭いところが苦手なわたしは隠し部屋に二家族が隠れて生きるという事実を踏まえた映像が苦しく見てられない。こういうところで生きるとはどんなことなのか。わが身に置き換えて想像すると苦しいのである。他人事だし、80年ほども前の、遠く離れた国での出来事だが・・・・・それでも。

 最後まで見ることなく、家を出た。バスで二子玉川へ。昨日、友だちと会う約束があり、会った帰り買い物をしようと思っていたが会うのがキャンセルになったので、買い物ができず、食べ物が少なくなった。メインは買い出しの外出だ。

 ラインのキープメモに買いたいものを入力し、それを見ながら買い物した。同じ東急系のスーパーマーケットでも、いつも行く最寄り駅前の店よりこちらのほうが価格がかなり安い。二千円も買わなかったがかなり重くて、買ったものを持ったまま他の店に行く気にならなかった。すぐ近くのカフェに空いた席があるかどうか店内を見て回ると、ぐうぜん二人連れの客が席を立ったので、その席をキープ。あたたかい抹茶ラテを注文した。この店の抹茶ラテは苦みがちゃんとあってとてもおいしい。

 持って行った歌集を読みながら、自分の短歌も詠み、キープメモに入力した。

 

袋より飛び出す青葱いつのまに都会のカフェに溶けこんでいる

 

混みあえる連休のカフェ本を読むカップルもいて楽しきかな

 

テレビにて「アンネの日記」見る五月 第三次大戦起こるな地球

 

 

花壇で元気に咲いているノースポールの白い花

ひとつだけつぼみが残っているクレマチス、これが最後の花になる

紫色のチドリソウが1本だけ咲いている、桃色のチドリソウの種子を蒔いたのだが

青い花が咲くオダマキのつぼみ、この花が好きなのでもっと増やしたいが長持ちしない宿根草なので難しい

大きなつぼみをつけた白い花の芍薬

 

キャンセルされた午後会う約束

 朝方は曇りで厚い雲が空をおおっていた。厚い雲がとれはじめたのはお昼近くだろうか。午後からは陽ざしが出た

 午前中の早い時間に、今日の午後会う約束をしていた友だちからラインがあり、電話してもいいかと聞くので、いいよーと返事をして、ライン電話で話した。昨日、体調を崩してしまい、今日はどうしても会えないとのことだ。昨日、約束の確認をしたのだがその後のことだろう。大学病院に診察を受けに行ったようだ。

 友だちは3月から4月にかけていろいろな病院やクリニックの診察を受け、服用している薬の副反応による症状ではないかということになった。服用する薬の量を少しづつ減らす治療を受けていて、だいぶ症状が落ちついてきたのだが、また元に戻ってしまったのか。

気にしないで、ゆっくり心身を休めて早く治るといいねと友だちに言った。友だちは急に約束を取り消したことを気にしてるようだった。

 この友だちと昨年11月に、6年ほどの音信不通を経て再会した。また会えて仲良くできることを喜んだがわたしのこころのどこかに、友だちとの仲がいつか切れるのではないかという気持ちがある。なぜかというと、友だちは不安定なところがあって、それは6年間会わない時間を経ても変わっていない。人はそんなに変われるものではないようだ。その不安定さがたぶん・・・・・という気持ちにさせるのである。

 だがどうなるかは本当のところはわからない。

 もう一人、近所の友だちが午前中家に来ることになっていて、9時半ごろ来てくれた。家に上がってもらって、友だちがほしいと言ったアクリルたわしを目の前で編みながら作り方を教えてあげた。その編んだばかりのアクリルたわしを含めて5つのたわしをあげた。次からは自分で編んでもらえば好きな色でほしいだけ編めると思い、これで練習してみるといいよと毛糸も少しあげた。

 昼食後、外出しようと思ったがからだが重い感じがしたので家で休むことにした。

 夕方近くになり庭に出て、庭でいちばん樹高の高い乙女椿を剪定した。樹の上の方は2階のベランダから後日、剪定することにした。

近所の友だちから久しぶりに電話があって・・・・・

 朝は曇りだったがいつからか雨が降り始めた。障子戸を閉めエアコンの暖房を入れているので、庭を見ることができず気がついたら雨が降っていた。

 午前中は庭に出て、スマートフォンで庭の花の写真を撮った。友だちにラインで送るためだ。写真を2枚送り、「おはよう」とあいさつを送った。しばらくやりとりをして明日会う時間と場所を決めた。

 パソコンに向かい、昨日(4月30日)詠んだ短歌をワードで入力した。2022年の4月ん短歌はこれで終わり。いつもはじめと終わりは気持ちが動く。四月にあった、出会った、気持ちが動いた、さまざまなことを詠った。短歌自体はつたないものが多いが、わたしのこころの動きが記されている。

 例えば、友だちから竹の子を送ってもらったという事を短歌にする場合、いろいろな角度から短歌にするが、事実に縛られ過ぎるとわたしの場合はいい歌が詠めない。事実からふと離れたとき、すーっといい歌ができるような気がする。これは詠む人にもよるし、どのような短歌がいいかという考え方にもよるだろうが、わたしはやはり自分でいいと思った短歌がいちばんいいと思っている。

 午前中、枕を持ってきて炬燵のそばで横になったら眠ってしまった。昨夜はなぜか4時間弱しか眠れなかったので、しかたない。

 午後は眠くなることもなく過ごせた。

 夕方近く、近所の友だちから久しぶりに電話があり、すぐに出られなかったが留守電が入っていた。念に二度くらい友だちにあげているアクリルたわしがほしいとのこと。自分で編もうと思うが、古いたわしがぼろぼろで編み方がわからないとも。

 こちらから電話をして、いまあるアクリルたわしをあげると伝えた。6個あるので1個自分用に残し5つあげることにした。

 思い返すとかなり長い間、編み物をしていない。編み物は家にいるとき、なにもすることがなければとてもいい時間の使い方だが昨年から国会図書館で調べものをするようになると編み物に気が回らなくなった。

 また、編み物は老犬ももこが亡くなってからの時間の空虚さを埋める役目もあったので、そこから卒業したいという気持ちがある。ももこを思う気持ちは変わりないがわたしが元気でいろいろなことにチャレンジすることをどこかできっと応援していると思うから

オオムラサキツツジが満開になった

 

あじさい’舞妓’は蕾がたくさん、うすい青色の花が咲く

 

久しぶりに国会図書館に行く

 昨日とは違って朝から晴れて青空がひろがる。

 といってもいつもより寝過ごしたので、7時過ぎになって晴れているのを知ったけれど。

 午前中は庭に出て、切りっぱなしの椿の枝や、引き抜いた実生の小さな木などを集めてゴミ袋に入れた。庭に植えた木から種子がこぼれ、ほっとくと実生の木がどんどん増えて、風通しが悪くなる。ときどき抜いて整理をしている。

 洗濯機を二回回して、シーツなど大きめのものを洗った。最近、天気が不安定で朝から晴れている日でないとかさばる洗濯物は乾かない。

 今日は国会図書館にの入館予約をしてあるので、お昼近くに家を出た。土曜日なので家族連れで混みあう二子玉川の、いつも買う地下の食品売り場で軽い昼食を買った。いつもは並ばずに買える店が今日は8人ほど並んでいた。小さな稲荷寿司とネギトロの手巻き寿司を買った。

 田園都市線半蔵門線で永田町へ。国会図書館もいつもより混みあっていた。いつも座る席がふさがっていたがその近くの席に座ることができた。さっそくパソコンで読みたい本や雑誌の閲覧申し込みをする。 

 本や雑誌が受け取りカウンターに届くまで少し間があるので、6階の食堂に行って先ほど買った軽い昼食を食べた。テレビが一台置いてあり、いつもNHKの放送が流れている。

 2階に降り、申し込んだ雑誌と本を受け取り、席に戻った。歌人、永井陽子さんの同人誌「詩線」全号(1~32号まで)と、歌人奥村晃作さんの歌集『ビビッと動く』、同じく歌論集『抒情とただごと』、椎間板ヘルニアを患う友だちの役に立ちたくて椎間板ヘルニアについての本を一冊。

 この椎間板ヘルニアの本はあまりピンと来なかったので返却し、ヘルニアについて書かれた別の一冊を閲覧請求した。こちらの本はかなり役に立つ情報が書かれていた。画像でヘルニアがあることがわかった人でも必ずしも痛みがあるわけではないこと。この本を書いた医師のクリニックに、他の病院で椎間板ヘルニアと診断されて来る人のほとんどが他の病気を持っていること。椎間板ヘルニアには標準的な治療のガイドラインがあること、などなど。

 奥村氏の歌論集『抒情とただごと』は全部は読めなかったがとても興味深く読むことができた。ほかの図書館でこの本を借りて全部読みたいと思った。氏の歌集は国会図書館で読むだけでもいいと思ったが。

 「詩線」は目を通しながら永井陽子さんの短歌についていろいろ思いをめぐらした。この思いをめぐらす時間がわたしにとっていちばん大切な時間である。

 4時半ごろ、国家図書館をあとにして、行きと同じ二子玉川駅に移動。駅の近くで今日明日の食料を買い、喉が渇いたのでカフェでアイスコーヒーを飲んだ。

 

 

連休初日は曇り空で肌寒い

 朝から曇り空がひろがる連休初日。

 今日は金曜で燃えるゴミを出す日だが、遅めの9時少し前に集積場所にゴミを持って行ったら、すでの回収した後だった。しかたなく来週の火曜日までゴミ袋を物置場に置いておくことにした。

 午前中は庭に出て、庭仕事をした。庭道に生えた雑草を抜いたり、脚立に上って乙女椿の枝を高枝鋏で切った。乙女椿の木のそばに見たことがない木が一本いつのまにか生えていて、かなり背丈が高くなっているのに気づいた。根元から切ろうと思い、ノコギリをいつも置いてあるところに探したがどこにもない。 

 いつノコギリを使っただろうかと記憶を探りつつ、思い当たるあちこちを探すがどこにもなかった。多分、庭のどこかで使った時に地面にそのまま置いてしまい、そのままにしてあるにちがいない。草が茂りだしたので埋もれてしまい、見つからないのだろう。

 どこで使ったかを思い出しながら、草を抜いたり、草の下を探した。だいぶ探した後に、下草に埋もれていたノコギリを見つけた。外からはぜんぜん見えない。草を動かしたので見つけることができたのである。

 父が使っていたノコギリは使いやすくて、わたしも引き継いて愛用していたがあるとき同じように紛失してしまい、見つからなかった。数年たってやはり地面に置いたままのノコギリを草の下に見つけたが、錆ついていて使える状態ではなかった。父のノコギリももっと探していれば、見つかったのにと思う。

 ノコギリ探しに時間がとられ、切りたいと思った木を切ることさえ忘れてしまった。草の茂みを手で探っているときに指に棘が刺さったので家に入り、水で流して棘をとった。

 庭仕事の次はパソコンに向かって、4月の短歌を入力した。4月もあと1日で終わり。時間が過ぎるのが速いなあとつくづく思う。

 昼食後はNHKBSプレミアムで、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「北北西に進路をとれ」を見た。ケーリー・グラント主演、謎めいた女性をエヴァ・マリー・セイントが演じている。映画の最初の方にヒッチコック監督が出ていたように思う。監督の演出力のすごさを堪能できた。

 閉めていた障子を開けると、しっかりと雨が降っている庭が見えた。いつから雨が降り始めたのだろう。さきほどまでエアコンの暖房を入れていたので障子を閉めていたため、雨が降り出した時間がわからない。