上野に「デ・キリコ」展を観に行く

 梅雨があけて、晴れ間のひろがる蒸し暑い日が続く。

 今年の初めころから見たい美術展のひとつとして心づもりしていた、「デ・キリコ」展に足を運んだ。

 外は暑いが電車や美術館内は冷房がきいて涼しい。

 訪れた東京都立美術館もノースリーブのわたしには涼し過ぎた。館内はさほど人が多くなくて、ゆとりを持って快適に鑑賞できた。

 キリコはイタリア人の両親を持ち、ギリシャで生まれた。生涯にわたってギリシャ、ドイツ、フランス、イタリアなどヨーロッパの各地とアメリカにも転居した。アメリカの移住はニューヨークだけかもしれない。

 ひらめきを重視しながらも、絵画の技法の勉学にも情熱を注ぎ、ニーチェの哲学にものめりこんだようだ。

 肖像画の作品も多いがいちばん興味をそそられたのはやはり、キリコ自らは名付けた形而上絵画である。なにが形而上かについては説明できないが、現実とは違う世界を見せてくれる、みたいな意味か。

 イタリアのどこかの街にインスパイアされて描いた「イタリア広場」の連作。この世のどこにもないような鮮やかな色彩の塔が印象的だ。こちらが形而上的は風景ならば「形而上的室内」というテーマの絵画も何枚も描いていて、こちらもおもしろい。

 くっきりとた輪郭の絵を描いていたキリコだが、ルノアールの影響を受けてやわらかい色調のふんわりした輪郭の絵も描いている。マヌカンという目鼻立ちのない人間を書いた絵である。同時代の絵画の潮流にも敏感で、どん欲に学び、自分の表現に取り入れていった。

 晩年近くには,「新形而上絵画」といわれる作品を描いている。部屋の中に海を描いて苦難の旅から帰ってきたオデュッセウスを描いた「オデュッセウスの帰還」や、室内の太陽と戸外の沈みゆく太陽を描いた「イーゼルの上の太陽」など、よりメッセージ性が強いように感じた。「瞑想する人」は下半身が短めのひとが椅子に座って、上半身は粘着性の強さそうなイソギンチャクの触覚みたいなものにおおわれている絵で、なんのこっちゃ。

 演劇などの舞台の背景や衣装など、舞台芸術でも活躍したそうだ。

 ショップでは絵葉書を3枚と、クリアファイルを一つ買った。

 涼しい美術館を出て、炎天下、JR上野駅まで歩き、山手線に乗って渋谷へ。最近、あまり渋谷に来なかったので電車を降りて、歩いてみた。といっても新しくできた商業施設のはしごである。まず、渋谷駅に直結しているビルの一階で梅ジャムを買った。自家用にわたしが作っている梅ジャムと比べてどうなのかを味わってみたかった。次に国道246を渡ったところにできた(そんなに最近ではない)、名前を度忘れした施設に入り、ふらふら歩いていたら、お腹がすいたので和食の店に入った。お昼時で、最初見たときは並んでいたのでパスし、二度目に見たときは誰も並んでいなかったので入ったのである。わたしが家で作れそうなお惣菜だが、自分で作らずに目の前に出て来るのでうれしくいただいた。サバの枝豆味噌漬け(焼き魚)はおいしかった。

 そのあとは電車に乗って二子玉川へ。駅前にあるアンテコ・カフェに入った。いつも利用する店なので、何となく落ち着く。

 

キリコ展に訪れたという記念写真が撮れるスポット、館内は撮影禁止である

渋谷駅周辺は激変した

渋谷駅前から歩いて首都高下の国道一号線を歩道橋で渡り、名前を度忘れした商業施設へ