晴れて風は冷たいが、最寄り駅までの坂道を上れば身体があたたかくなった。
一昨日、三人で会った友だちのひとりと東京都美術館で開かれる「ムンク展」を見に行くために待ち合わせ場所へ急いだ。
乗り継ぎのタイミングの悪さや山手線の遅延で、5分ほど遅刻して上野駅公園口で落ち合うことができた。
朝10時半ぐらいに美術館に入ったがすでに多くの人がいた。わたしが思ったよりムンクの絵が人気があるようで驚いた。
展示会場は地下1階、、地上1階、2階にあり、をエスカレーターで移動して鑑賞する。
初期の写実的な自然派的な油絵からだんだんは変化していく過程を、制作した油絵やリトグラフ、木版画などで追っていくのも興味深い。
芸術至上主義というのだろうか。絵画のために結婚することを拒否し、生涯独身を貫いた。結婚を迫られ、挙句の果てにピストルで女に打たれ、指の骨を欠損してしまう。こんな出来事も絵画の題材にしている。
友だちの恋人を奪い、その友だちが嫉妬に苦しみ憔悴する顔をあえて描いた「蔦の家」など、ムンクはここまでやるのかと衝撃を受けながらも笑えてきた。
有名な「叫び」は何枚かあるなかの一枚で、思ったよりサイズが小さく、色合いもくすんで見えた。この叫びの絵をムンクは何度も繰り返して描いた。それだけ執着するテーマなのだろう。
できればこの世に存在するムンクの「叫び」をぜんぶ並べて比べて見てみたい。
ムンクは自画像が多く、カメラで自撮りした写真をもとに描いたそうだ。自画像を描く画家の目は、苦しむ他者を描くときと同じくらい自分を冷酷に見つめることができたのだろうか。出来たようにも思える。人生が残り少ないことを予感した画家の、針のない時計のある部屋に立っている自身を描いた絵は見応えがある。誰にも訪れる時間といえるから。
いつもひとりで絵や写真などの展示会に行くことが多いが友だちと展示会場をめぐるのもまた刺激があっていいなと思った。友だちはムンクについてわたしより知識があり、それを聞くことで絵の鑑賞の世界が広がったような気もする。
晩年のムンクには以前描いた絵のモチーフを新たな色で新しい絵として描いた作品がある。どれも色が明るく、タッチも軽くなっている。晩年の絵の色合いの明るさになんとなく救われたような気がした。「星月夜」という絵はノルウェーの冬の星月夜をきれいな色彩で描き、気に入った絵のひとつ。
展示会を見終わり、上野公園にある店で昼食を友だちととり、食後の紅茶を飲みながら今見てきた絵のことやいろいろなことを話した。
帰りは山手線で東京駅までいっしょに乗り、友だちと別れた。「またこちらに気軽に来てね」「いい展示会があったら来るね」と言葉を交わし。
今日は午前中と午後、車に乗って買い物に行った。年賀状を印刷しようとしたらインクが切れていて、午前中は電気屋へ。午後は手作りベーコン用の桜チップがなくなったのでホームセンターに買いに行った。ついでに目高の水瓶の防寒対策用に、クッション材を買った。壊れものの緩衝材ととして使うことが多いが、保温効果もある。ゴミ袋にクッション材を入れて、水瓶の高さに合わせて二つ折りの横長にし、ぐるりとまきつけてガムテープでとめた。水底に沈んだまま動かない目高を見ると心配でしようがない。