雨が降る時間、止んでいる時間、陽射しが出る時間があり、天気の変化がめまぐるしい。
選挙に出かけたのは雨が止んでいる午後。折り畳みの傘は持って行った。今回の選挙から投票所が変わり、遠くなった。歩いて15分以上はかかる。前は5分くらいで行けたから三倍の遠さだ。
選挙をすまし、その足で多摩川台公園に向かった。長い曲がりくねった階段を上り、公園の頂上に行く。この公園は多摩川の流域の地形をそのまま生かして作られている。いくつもの古墳が連なり、古墳も公園の一部となっている(古墳となっているところには入れないようになっている)。
階段を上ると広い広場があり、多摩川が見下ろせる端にはブランコやジャングルジムがある。数年前にこれらの遊具は新しくなった。柴犬レオとよく来た頃、30年近く前の桜の季節に母と訪れた頃にあった遊具がなくなり、新しくなっているのを見るとやはり寂しい。
帰り路は母と30年近く前に歩いた道をたどった。坂の上から見晴るかす対岸の街の景色も変わった。昔は高層ビルはなく、もっと牧歌的な風景だった。
わが家に近くなり、昔用水路だった川の中に置かれた大きな石に一羽の軽鴨がいた。わたしがルパンと名付けた軽鴨だ。なんという久しぶり!なつかしくなり、しばらくルパンのそばにいた。
ルパンは男の名前だがもしかしたら軽鴨ルパンは雌かもしれない。からだが小ぶりだから。ただ、羽根の色は濃いので雄かもしれず、決めかねる。
軽鴨ルパンを見ながら、ルパンとはじめて会ったのが昨年の10月、台風による水害で床上浸水になった後だったことを思い出した。ほとんど住めない状態になった家の廊下で辛うじて暮らしていたあの頃。だがふと思った。
あの時と今の自分と、どちらが幸せだろうか。考えるまでもなく、ふつうに住める家がある今のほうが幸せと言えると思うが、わたしのなかで必ずしもそうではない自分がいて、驚いた。
どういうことなのだろうか。あの時からいろいろなことが変わった。コロナウィルスの世界的感染拡大もそのひとつだ。東京は4日続けて感染者が百人を超えた、もちろん、PCR検査の数が多いことも感染者の数に反映されるだろう。
コロナウィルスは社会の出来事だが、わたし自身にもある迷いが生じてきた。
梅雨を抜けたあとの夏空のような迷いのない自分に戻りたい。
庭を飛ぶオハグロ蜻蛉コロナの夏いつもの夏に比べて多し
弟がわれに持ち来し枇杷の実を絵に描き残しきあの六月は
老犬がわが家にをりたる六月を枇杷の実の絵がしずかに語る